2024年12月23日( 月 )

熊本地震、震度7の恐怖のなかの自助と共助(前)

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「平成28年熊本地震」は、最大震度7を観測した地震がほぼ1日おきに発生したことで、観測史上初のケースと言われている。この2度の大地震と、その後に頻発した地震は、熊本の被災地・被災者にどのような混乱を与えたのか。実際に現地で地震に遭遇した記者が当時の様子を振り返る。

深夜に襲ってきた2度目の恐怖

「本震」で倒れた本棚(17日撮影)<

「本震」で倒れた本棚(17日撮影)

 4月14日午後9時26分に発生した熊本地方の地震を受けて、翌朝(15日)、筆者は熊本市西区二本木の実家へ向かった。家中は、家具が散乱して足の踏み場もない状況だったが建物自体は無事。水道もつながっており、その日は、入浴することもできた。テレビでは、気象庁の役人が、「平成28年(2016年)熊本地震」と命名したことを発表し、「震度6弱の余震が発生する確率は20%」という予測を伝えていた。余震とされる揺れが続いていたが、「まさか、あれ以上のものが来るはずはない」と、少なくとも自分の周りでは、ほとんどの人がそう思っていた。

 日付が変わって16日午前1時25分、「ドシン!」という凄まじい音に起こされた。初めて体験する猛烈な揺れを受けて頭のなかが真っ白になった。壁が倒れ、天井が落ちてくるのではないかという恐怖に襲われ、身動きがとれなかった。暗闇のなか、足元に目をやると、最初の地震ではなんともなかった本棚が倒れていた。頭と足の向きを逆にして寝ていたら、一巻の終わりだったかもしれない。今振り返るとそう思うが、当時はそう考える余裕がまったくなかった。後に「本震」とされたマグニチュード7.3の地震が起きたのである。

 少しずつ揺れが小さくなるなか、「大丈夫ですか!」と家の外から近所の方の安否確認の声が届いた。家族で名前を呼び合い、無事を確認しながら外へ出る。向かった先は、近所にあった駐車スペースだ。隣近所の人々が皆、着の身着のままで続々と集まっていた。「本震」発生時が晴天であったことや、少し肌寒いくらいの気温であったことは、まさに“不幸中の幸い”だった。しかし、暗闇のなかで頻発する震度3〜5の地震には、都度、悲鳴があがった。最大の恐怖は電柱の倒壊だった。皆が気を緩めることなく、周囲に目を配り、励まし合いながら数時間が経過。余震の合間をぬって、それぞれが自宅に寝具と車を取りに行った。その日から車中泊生活が始まった。

(つづく)
【山下 康太】

 
(中)

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