定食店「大戸屋」で、社長再任に創業家が反対!(前)
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定食店「大戸屋ごはん処」は、焼きほっけ定食、黒酢あんかけ定食が人気メニューだが、いっそのこと「けんか丼」を出したらどうか。創業家と社長の対立という、各企業で勃発しているおなじみの構図だ。外食業界はファーストフードの苦戦が続いているが、カフェや麺類、定食は堅調だ。海外に進出した日本食の“勝ち組”と言われた大戸屋に、何が起きたのか――。
取締役総入れ替えに創業家が異議
定食店を展開する(株)大戸屋ホールディングス(HD)の大株主の創業家が5月20日、6月の株主総会で会社側が提案する取締役の人事案に反対することを表明した。
反対を表明したのは、2015年7月に亡くなった元会長の三森久実(ひさみ)氏の妻、三枝子氏(62)と長男の智仁(ともひと、27)氏。筆頭株主だった久実氏から株式を相続した三枝子氏が持ち株比率13.15%の筆頭株主、智仁氏が5.63%の第2の株主。合計で18.78%を保有。
大戸屋HDは久実氏が会長に就いたのを受け、12年4月から窪田健一氏(45)が社長を務めている。今年の株主総会は、久実氏の死去後で初開催となる。5月18日に会社側が発表した人事案は11人の取締役について、窪田健一社長を含む3人を再任し、社外3人を含む8人を新たに選任するというもの。久実氏の死去後に経営陣に経営陣の顔ぶれを総入れ替えする人事案だ。
これに創業家が猛反発。長男の智仁氏は、日本経済新聞(5月22日付朝刊)の取材に、「これだけ大幅に取締役の構成を変えるのに納得のいく説明がない。見識のある社外取締役も全員かわるのは理解に苦しむ」と語っている。6月23日の株主総会が紛糾するのは必至だ。
創業家出身、三森久実会長の若すぎる死
15年7月27日、大戸屋HD会長の三森久実氏が、肺がんのため死去した。57歳という若すぎる死だった。久実氏の死が、創業家と窪田社長の対立を招くことになる。
久実氏は、外食産業で成功した立志伝中の人物として知られる。『日経ベンチャー(現日経トップリーダー)』(07年5月号)で浮沈の半生を語っている。要約する。
久実氏は1957年11月18日、山梨県に生まれる。15歳のとき、東京・池袋で「大戸屋食堂」を経営する伯父、三森栄一氏の養子になる。58年に栄一氏が始めた「大戸屋食堂」は、「全品50円均一」という安さがウリの大衆食堂だった。
養父の死にともない、79年に店を継いだ。20歳そこそこの若造だった。83年に(株)大戸屋を設立。定食店ではどこでも使っていないような立派な食器に変えたり、のりの佃煮の瓶詰をボトルキープするアイデアを実行。客足は伸び、2号店、3号店を出すまでになった。まだ30歳前。経営なんて簡単じゃないかと過信。店は従業員に任せて、当時はやっていた大皿料理の居酒屋を出した。居酒屋は大失敗。3店目の東京・吉祥寺店は火事で全焼した。この2つの出来事を戒めにした。「自分は定食屋のおやじだ。定食のことだけを考えてしっかり働こう」と決意したという。
92年に3号店を再建するとき、明るくきれいな店にすれば、女性客も来てくれるのではないか、と考えた。全面改装し、女性が気軽に入れる新しい定食店のスタイルを確立した。
01年、日本証券業協会に株式店頭登録(現・東証JASDAQに上場)。05年にタイのバンコクに海外1号店を出店。その後、台湾やインドネシア、米国に出店した。11年7月、持ち株会社体制に移行し、(株)大戸屋ホールディングスに商号変更。
16年3月期の売上高は前期比5%増の260億円、純利益は11%増の3億円。店舗数は国内342店、海外94店、合計436店にのぼる。とくに、タイや台湾では人気店で、大戸屋は海外に進出した日本食の“勝ち組”と言われた。(つづく)
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