2024年11月27日( 水 )

「一村一品運動」提唱者、前大分県知事・平松守彦氏の死去に寄せて

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 前大分県知事の平松守彦(ひらまつ・もりひこ)氏が21日、老衰のため大分市の病院で亡くなったことがわかった。92歳だった。平松氏は「一村一品運動」の提唱者として知られる。

 平松氏は1924年、大分市生まれ。東大法学部卒業後、通商産業省(現・経済産業省)課長や国土庁(現・国土交通省)長官官房審議官などを歴任。75年の大分県副知事就任を経て、79年に知事選で初当選した。その後、2003年4月に退任するまで、大分県知事を6期24年務めた。
 平松氏は、県づくりの目標として県民所得の向上だけでなく、県民生活のあらゆる面で充足感を得られるGNS(国民総充足度)型社会の実現を目指した。そのため、79年の就任早々、大分県内の全市町村にそれぞれの特産品をつくる「一村一品運動」を提唱。地域活性化運動のシンボル的なアイデア知事として知られた。

20160824_022 同運動は、「ローカルにしてグローバル」という標語のもと、「全国・世界に通じる物をつくる」という目標を掲げて進められた運動であり、各地域それぞれの自主的な取り組みを尊重し、行政はあくまで技術支援やマーケティングなどの側面支援に徹することにより、各地域の「人づくり」「地域づくり」を行おうとした。また同時に、付加価値の高い特産品を生産することによって、農林水産業の収益構造の改善を目指した。この取り組みの結果、大分県ではシイタケやカボス、豊後牛、関あじ、関さば、城下かれい、大分麦焼酎など、日本全国に通用するブランドの創出に成功した。
 また、この「一村一品運動」は、国際協力機構の青年海外協力隊を通じて、韓国や中国、タイ、ベトナム、カンボジアなど、アジア各国を中心とした海外にも広がりを見せた。現在、日本国政府も途上国協力の方策として、途上国における一村一品運動を支援している。
 このような功績から、平松氏は95年には「アジアのノーベル賞」とも呼ばれるフィリピンの「マグサイサイ賞」を受賞したほか、2010年には中国政府より、「建国60年で最も影響を与えた10人の外国人」にも選ばれた。

 平松氏が唱えていたのは、行政はあくまで“黒子”に徹するべきであり、各地域それぞれが“主人公”として自ら考えることで、各々の特徴を出していくべきだ――という主張だった。
 たとえば大分県内に、豊後高田市という自治体がある。同自治体では、市中心部の商店街において衰退のために建て替えが進まず、昭和30年代以前の古い建物が約7割も残っていた。それを逆手にとり、2001年から「昭和の町」として昭和30年代の町並みを再現。「一村一品」ならぬ「一店一宝」や「一店一品」を掲げて各店が自主的に「昭和の再生」に努めた結果、多くの観光客が訪れるようになり、地方都市再生の成功例として全国から注目を集めた。
 こうした豊後高田市の成功事例の根底には、24年にわたる大分県知事としての平松氏の施策により、大分県内における地方の可能性と住民の潜在的なモチベーションが高められたことがあったと言ってもいいだろう。

 現在、日本全国の多くの地方で地域格差が進んでいるが、そのなかで地方は、どのようにして戦っていくべきなのか――。平松氏は、そうした地方の進むべき方向性や可能性を示した、先駆者と言えよう。
 平松氏の長年の功績を称えるとともに、まずはご冥福をお祈りしたい。

【坂田 憲治】

 

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