2024年12月25日( 水 )

「獣の世」から「人間たちの社会」へ回帰!(5)

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他人の幸福が自分の幸福につながるモデル

 ――必要原理に基づき、「必要=共存型モデル」を実現させていくために私たちは何を学び、認識する必要がありますか。

慶応義塾大学経済学部 井手 英策 教授<

慶応義塾大学経済学部 井手 英策 教授

 井手 財政をどう設計するかは、私たちの人間観・社会観に関わってきます。必要原理とは、財政という巨大な統治システムを人間の生活にとってより身近なものへと作り替え、欲望ではなく、基礎的ニーズという必要を通じて、利害を共有していくための理論です。それは、国から地方へ、地方自治体から住民へと不可逆的に進んでいく近代の下降現象、「経済の時代の終焉」を見通した人間の共同性を回復するための理論でもあります。

 動物と人間は何が違うかと言いますと、それは「自分の幸福が他人の幸福につながり、他人の幸福が自分の幸福につながる」という生き方ができることだと思います。貧しい人を大切にする、障害を持っている人を大切にする、お年寄りを大切にすることによって、自分も大切にされる財政モデルを構築すべきだと思っています。それは決して彼らだけが得をして、自分が損をするモデルではありません。

 高齢者には国民のほぼ100%がなるでしょう。しかし、障害者については、皆さんは身近な存在ではないと考えがちです。ところが、今社会の中で何らかの障害を持っている人は、少なく見積もっても7%はいると言われています。7%いるということは、ご両親やご兄弟などの関係者を含めて考えるとその3倍(21%)以上、つまり国民の約3割がその関係者になっていることを意味します。
 また、誰もが自分が親になる時には、自分の子供が障害を持って生まれてくるのではないかという不安に襲われます。彼らを大事にすることは、彼らだけの得ではなく、自分にとってのリスクの軽減にもなるのです。

縮減の世紀に足を踏み入れようとしています

 ――最後になりました。読者にメッセージを頂けますか。

 井手 政府を小さくして企業に任せれば、成長できるというモデルは、よくて願望、悪くすれば幻想であることは歴史がすでに証明してきました。アベノミクスは今、刀折れ矢つきた状況になっています。あれだけやっても成長は難しいのです。これから、私たちは、まだ懲りずに「成長依存」への道を突き進むのか、それとも成長に必ずしも頼らない道を切り拓くのか。私たちは、分岐点に立つというより、その分岐点を作り出せるかどうかという状況にいます。

 経済の時代は、今明らかに終わろうとしています。経済と財政が相互に補完しあったケインズ政策の限界は広く認識され、私たちはいよいよ成長が前提とならない「縮減の世紀」に足を踏み入れようとしています。欲望を通じて、基礎的ニーズを満たすことが難しくなるという変化を前にして、利害の共有システムを大胆に作り変えていかなければ、社会の分断は間違いなく加速することを多くの読者に訴えたいと思います。

 これからの時代は成長が停滞していくことは明確です。2020年東京五輪が終わった後の5年間の実質経済成長率は0.5%、さらにその後6~10年で実質成長率が0%になるという推計が出されています。しかも、東京五輪が終わって10年後の2030年には日本の人口は今より1割減ります。このような状況の中では、国民みんなで助け合わなければ生きていけなくなると考えるのが妥当なのではないでしょうか。

増税とセットで生活保障サービスの拡充を

 また、そこでは、個人の貯蓄に未来を委ねるのではなく、未来が分からないからこそ、財政に投資し、みんなの将来のために備える財政の構築を目指すべきだと思っています。財政とは、見方を変えれば、社会全体の貯金でもあるのです。

 今後、また税制改正論議が進んでいくと思います。私がその際に最も重要と思うのは、「生活保障・税一体改革」、つまり増税とセットで「生活保障サービスの拡充」の道筋が明確に示されなければといけないということです。

 負担と受益のバランスを取るというのは、ヨーロッパではさほど珍しくありませんが、日本では民主党政権時代の「社会保障・税一体改革」が財政史上初めての経験だったと思います。民主党の改革では、増税後の予算配分先の決定が曖昧だったため、国民の多くは社会保障サービスの拡充という受益感を得るに至りませんでした。また、この議論に教育は加えられませんでした。この点は大いに反省すべきところで、次の税制改正論議では、「社会保障」を「生活保障」に拡張しながら、読者の皆さんと一緒に厳しいチェック・監視を行っていきたいと考えています。

私たちの人生はギャンブルではありません

 ウィーン出身の経済学者のカール・ポランニ―によれば、もともと経済は(1)互酬(=相互扶助)、(2)再分配(=弱者救済)、(3)交換(=市場)の3つの要素で構成されていました。

 この3つ要素のうち、1番遅く生まれたのが交換です。その交換の領域が自律していくのが近代であり資本主義時代なのです。農家などが良い例ですが、本来は、互酬や再分配を中心に経済は成り立っていました。しかし、市場経済が活発に動き出すと、コミュニティを捨てて多くの人が都市に向かいました。その結果、互酬や再分配などの助け合いの領域がどんどん破壊されていきました。これを防ぐために、経済の3要素のうち、互酬と再分配を別建てにして公共の経済である「財政」ができあがってきました。

 そして最も重要なことは、長い人類の歴史の中で、交換(=市場)だけで経済が成り立った歴史的事実はないと言う事です。市場経済が社会の中心に居座ったのは21世紀を入れてこのわずか3世紀足らずのことです。例えば、新自由主義は交換(=市場)だけで、経済を動かそうとする発想ですが、これまでのお話でお分かりの通り、そんなことはできません。今世界各地で、頻繁に経済危機が起きているのは当然のことなのです。

 私たちの人生はギャンブルではありません。人間が未来を予測できない以上、病気や怪我などの理由で、生きていくための「必要」を満たせなくなる場合に備えて、さまざまなリスクを分散し合い、そのための負担を分かち合う準備をしておくことには大きな意味があります。もし、それが無意味だと言うのであれば、社会も財政もいらなくなるでしょう。

 ――本日は海外出張の前日にもかかわらずお時間をいただき、ありがとうございました。

(了)
【金木 亮憲】

<プロフィール>
ide_pr井手 英策氏(いで・えいさく)
 慶應義塾大学経済学部教授。専門は財政社会学。1972年 福岡県久留米市生まれ。東京大学大学院経済研究科博士課程単位取得退学。博士(経済学)。著書に『経済の時代の終焉』(岩波書店、大佛次郎論壇賞受賞)、共著に『分断社会を終わらせる』(筑摩選書)、共編に『分断社会・日本』(岩波ブックレット)、『Deficits and Debt in Industrialized Democracies』(Routledge)など多数。

 
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