佐世保児相問題、県民の弱き声を拾った山田博司県議(後)
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一方的に児童虐待と決めつけられ、当時、小学2年生の長男を佐世保児相に連れていかれた家族。その助けを求める声に動いたのは、佐世保市とは、まったく選挙区が異なる地方議員だった。
「弱いものをいじめる行政のやり方は許せない」
また相手にされないかもしれないという一抹の不安を胸に、家族は長崎県議会の山田県議を訪ねた。その時の言葉が今でも強く心に残っているという。「佐世保にこのような弱い立場の市民に耳を傾ける議員が居るのならば、わざわざ遠い私の所にまで来なくてもいいのに」「ここまで、児童の置かれている状況が酷いとは今まで知らずに政治家をしてきたことを、本当に申し訳ないと思う。本当に申し訳ない」「弱いものをいじめる行政のやり方は許せない」。
当時、文教厚生委員会の委員であった山田県議は、委員会でこの家族の問題を取り上げた。自分の選挙区外の問題だが、「たとえ1人の県民の問題であっても、その声に耳を傾け、それが行政側に問題があることであれば、それは長崎県民全体の問題です。私に県政を託した五島市民のためにも、この家族を助けなければなりません」(山田県議)という信念があった。
その頃、佐世保児相の在り方が同委員会の最大のテーマとなっていた。2014年7月26日に発生した佐世保事件への対応が問題視されていたのだ。同級生を殺害した少女の担当医師から受けた極めて強い危機感を示した相談を事実上無視した佐世保児相。悲劇を未然に防がなかった専門機関の醜態に非難が集中した。実は、一方的にネグレクトと決めつけ、男児を家族から引き離した佐世保児相の担当者および上司は、佐世保事件と重なっていた。
「自分らのしたことに間違いがないと言うのならばしっかりと開示をすれば良いことなのに、開示をしない。それはおかしなことだろう」と、山田県議は追及を続けた。山田県議が働きかけたことで、問題解決に向けて大きな前進が見られるようになった。そして、15年8月21日、約1年半ぶりに男児は家族のもとへ帰ってきたのである。
さらに山田県議は、男児が預けられた施設の在り方を問題視し、同年9月16日の長崎県議会一般質問で、男児が(1)施設で右大腿部を疲労骨折したこと、(2)疲労骨折がわかってから2カ月後に佐世保児相に報告があったことの2点について、調査を行うよう県に要望。中村法道県知事は「しっかりと事実解明をし、対応したい」と答弁した。そこには、「長崎県の児童福祉が、このような在り方だと、また、佐世保事件のような悲劇が繰り返される。なんとしてもそれだけは防がなければならない」という強い使命感があった。
「とにかく、県議はどんなに忙しくても、一生懸命に動いてくれました。息子が去年、(施設から出られず)祖母の葬儀に出られなかった時、わざわざ葬儀に電報までいただきました、ここまで親身になってくれるのかと。息子がいなくて虚しい気持ちで落胆していましたが元気付けられました。本当に聡明で情熱的で正義感が強く、心優しくてパワフルな方です」と語る男児の母親は今でも感謝の気持ちを忘れない。県議として選挙区の異なる県民のために行動した山田県議。その姿勢は、政治家としての赤心によるものであったと断言できる。
(了)
【山下 康太】▼関連リンク
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