2024年11月25日( 月 )

追悼 平尾誠二氏 聡明な先見性と自主・自立の志向

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 『ミスター・ラグビー』と呼ばれ、日本ラグビー界の進化発展に多大な功績を残した平尾誠二氏が、10月20日逝去した。享年53歳。ラグビー界のみならず、各界から急逝を惜しむコメントが、数多く発せられている。各局テレビのニュースも、ほとんどがトップニュースとして報じられるなど、平尾氏の逝去は、衝撃を与えた。心より哀悼の意を表する。

 平尾氏の現役時代や指導者としての経歴や実績は、各社の報道で詳細に知らせているので、ここでは概略を述べるにして留める。京都市の陶化中学、伏見工業高、同志社大、神戸製鋼そして日本代表(35キャプ)と現役時代のプレイは、切れ味鋭いステップ、しなやかでかつスピード豊かなランニング、精妙なパスワーク、精密なゲームメイクなど「ラグビーをするために生まれてきた」と評される選手であった。端正な顔立ちと歯切れよく軽妙な語り口は、老若男女問わずラグビーファン以外の人々からも人気を博していた、ラグビー界のスーパースターであった。

rugby 平尾氏と大学、社会人の同時期にライバルとして戦った元プレイヤーのひとりは、「打倒同志社、打倒神戸製鋼が私の全てであった。正直、嫉妬に近い感情を抱き、悔しかったが、同志社と神戸製鋼の中心に構え、輝いていたのが平尾さん。現役時代に何度も対戦したが、試合中は本当に憎らしい存在であった。こちらがどれだけ激しくファイトしても、ひょうひょうと笑顔を見せながらも、80分間インテリジェンス豊かでしなやかで美しいプレイを披露していた。平尾氏がいた同志社と神戸製鋼には1度も勝てなかったが、私のラグビー人生のモチベーションの源であったと断言できる。2003年のトップリーグ元年には、ともに仕事をすることができた。日本ラグビー界の功労者、ラグビーの歴史を築いた男、まさにミスター・ラグビー平尾誠二。1回位勝ちたかった。同じ時期にともにラグビーが出来て幸せでした。有難うございます」と追悼の言葉を述べた。

 また、ある大学の指導者として活躍する人物は、「私は、平尾さんと対戦したことはないが、何度も間近でプレイを見てきた。言うまでもなく超一流のプレイヤーであった。さらに志向も、超一流であった。平尾さんは、同志社を卒業してすぐに社会人に進まず、イングランドにラグビー留学し、名門“リッチモンドクラブ”でプレイされた。平尾さんのもとには、数多くの国内企業クラブからオファーがあったはずだ。それでも、イングランドに渡ったのは、日本だけの経験では世界と対等に戦えないと、すでに気付かれたと推察する。その経験が、神戸製鋼7連覇と日本代表監督時の強化・改革に繋がった。平尾さんの時流を読み、先見性の高い発想は、現在の日本ラグビーの礎となったと言える」と讃えた。

 一見華麗な経歴であった平尾氏であるが、数多くの挫折も経験してきた。例をあげると、同志社2年次の選手生命を脅かす膝の大怪我。同志社の大学選手権3連覇の裏で、日本選手権で新日鉄釜石に1度も勝てなかったこと。神戸製鋼日本選手権7連覇のスタートの前年に、東芝府中に1回戦で敗北したこと。神戸製鋼8連覇という新記録を達成できなかったこと。99年代表監督時W杯の3連敗で予選リーグで敗退など苦しい経験も味わったのである。それでも平尾氏は、それら挫折を経験した上で数々の功績を作り上げてきた。なぜか?過去の実績にとらわれず、未来の空想を行うことなく、今=現在と向き合い真摯にラグビーと向き合ってきたことにある。今を的確に見極めて、どのようにすれば勝てるのかを追求してきたことに尽きる。平尾氏は試合前に「絶対に勝つぞ!勝とうぜ!」という類の言葉は、一切口にしなかったという。「勝ち負けなど分からん。それより自分ができる最高のプレイをやろう」と。

 約30年前のテレビ番組で平尾氏の「よく助け合いが大事と言いますが、私はその言葉はあまり好きではない」と述べたことは、今も覚えている。また「仲良くやろう」「まとまっていこう」という言葉にも難色を示していた。個々の自立─生前平尾氏は、同志社も神戸製鋼もチームの掲げる目標に対して、それぞれのプレイヤーはどうすればベストなパフォーマンスを常時出すことができるのかを、突き詰めていたチームであったと述べていた。ラグビーのトレーニングそして、日常生活においても各人がベストパフォーマンスのためのマネジメントを実践し、その風土づくりの中心は、常に平尾氏だった。

 現在のラグビーは、ルールがマイナーチェンジを繰り返すことで、平尾氏の現役当時のラグビーより全てのパフォーマンスが高度化している。それでも、ボールを保持し数的優位をつくり、前進しながら相手の陣地を取る。そしてその前進をタックルで防御しボールを奪い、反撃に転じるという攻防がラグビーの本質は変わらない。その本質を、毎年突き詰めて進化発展させた戦法とパフォーマンスを構築してきた平尾氏。平尾氏の理念とインテリジェンスは、現代ラグビーの聡明な先見性であったと確信している。そして、平尾氏が唱えた個々の自主・自立の姿勢こそが、チームワーク・チームビルディングの基礎であることは、不変だ。平尾氏の逝去は、ご本人が一番無念であろう。合掌。

【河原 清明】

 

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