2024年12月23日( 月 )

一般メディアが語る「中国」はわかりやすすぎる!(4)

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東京大学大学院総合文化研究科 川島 真 教授

政治外交面では、緊張関係が東南アジア諸国とも

 ――話題をアフリカから、中国の東南アジア進出に移したいと思います。本書では、「中国・ASEAN南寧博覧会」の話が出ています。

 川島 中国は1990年代以来、ASEANとの関係を強化してきました。メコン開発協力に始まり、自由貿易経済圏の形成に至るまで、4半世紀に亘り、その協力関係は進展してきています。しかし、胡錦濤政権後半期には南シナ海問題が発生し、経済面でのASEANとの協力関係とは裏腹に、主権や安全保障などの政治外交面では、緊張関係が東南アジア諸国との間でも見られるようになっています。

 すなわち、中国は経済面ではASEANを通じた多国間主義をとりながら、南シナ海問題などでは、2国間関係で問題解決を図ろうとするようになっています。その中国とASEANとの間の経済面での協力関係を示す場には「ASEAN+1(中国)」がありますが、ここでは毎年9月に中国の広西チュアン族自治区の南寧(中国とASEAN諸国とのコネクティヴィティの前線基地)で開催され、東南アジアの各国首脳がやってくる「中国・ASEAN博覧会(“南博”・CAEXPO)」に注目してみました。

中国側の展示物が大半で、観客も中国人がほとんど

 本日の私の話で一貫して最も重要なことは、中国のことを、北京の言説からも英語や日本語の言説からも可能な限り離れて、考えてみようとするスタンスです。
 この博覧会は「中国・ASEAN間の自由貿易地域建設、相互協力、発展の促進」を旨として、商品貿易、投資協力、サービス取引がその主な内容とされ、中国・ASEAN間の商業貿易協力を拡大するための新しいプラットフォームになることが期待されていました。
また、「中国とASEAN諸国との友好の象徴」とも言われていました。

 私は2012年9月に“南博”(9.21‐25)を2度訪問しました。そして、南寧で地方政府当局や南寧駐在東南アジア諸国外交官、あるいは企業家などにインタビューを行いました。中国・ASEAN博覧会は、2004年から毎年この南寧で開催され、訪問した2012年は9回目でした。博覧会はメイン会場である南寧国際会展センター、南寧華南城、広西展覧館の3カ所で構成、全体のブースは4,600で、そのうちメイン会場が2,800、屋外が600、華南城の軽工業展が600、広西展覧館の農業展が600となっていました。

 先ず全体的な感想ですが、その印象は一般的に言われていた、東南アジアと中国との関係性を示す象徴という、内容とは異なっていました。メイン会場には主に自動車が並んでいましたが、世界の自動車産業の一大生産地であるタイで製造された自動車は展示されていませんでした。一見すると中国で生産された車ばかりでした。全体的に、中国側の展示物が圧倒的に多いのです。

 この違和感は会場を回ることによってますます強まっていきました。ASEAN進出を企画している中国企業や大学のブースや台湾からのブース(この頃中国は、ASEAN+中国の枠組みに台湾を組み込むことを模索していた)が目立ってきました。また見学者のほとんどすべてが中国人だったのです。

 3カ所の会場の全てを回り、感覚的にはさまざまな印象を持ちましたが、大きく以下の3点にまとめられると思います。第1に、この博覧会が中国・ASEANの協力の象徴という位置付けが与えられているにもかかわらず、全体としては中国側の展示物で占められており、もちろんここを訪れる“観客”の大半も中国人であったことです。第2に、初日の政治的なイベントや、おそらく別室で行われていた商談等の様子は見えなかったので判断は難しいのですが、少なくとも会場を表面的に見れば、中国人が各ブースの展示物を“購入”することが、この会場で行われていたことです。第3に、この博覧会の在り方が当時模索中であり、その後変化していく可能性に満ちていたことです。

 実際、中国はそれ以後も博覧会を続け、また昆明でも「中国+南アジア博覧会」(2014年6月)を開催するようになっていきました。

“西部大開発”関連であることは容易に想像できる

 では、なぜこのような博覧会が、チベットは除く、中国の国境線に近い、諸省・自治区で行われているのでしょうか。

 広東の西に位置する広西チュワン族自治区は、雲南省とともに、GMS(大メコン圏)開発計画の構成メンバーになるなど、中国の大陸部東南アジアへの「窓口」として知られています。「中国・ASEAN博覧会」は、まさにその象徴としての存在であり、毎年中国とASEAN諸国の大臣が集まります。南寧はこのような政治的な場であり、相応に財政面でも手当てがなされる場なのです。

 このような中国の政策は、沿岸部で上げられた利益を使いながら内陸の発展を促す、いわゆる“西部大開発”と関連したものになっていました。南寧への中央からのてこ入れも、ASEANとの関係を雲南や広西といった(中国にとっての)辺縁地域の発展に絡ませていくためになされているものと理解することもできます。この南寧に「絡んでくる」東南アジア諸国も、そうした中国の意向、広西や南寧の意向を承知していると思います。インタビューした、南寧駐在のある東南アジアの国の外交官が、これを称して「南寧ゲーム」と言ったことが印象に残っています。

(つづく)
【金木 亮憲】

<プロフィール>
川島 真(かわしま・しん)
 1968年神奈川県横浜市生まれ。1997年東京大学大学院人文社会系研究科博士課程、単位取得退学、博士(文学)。現在、東京大学大学院総合文化研究科国際社会科学専攻教授(国際関係史)、専攻は中国近現代史、アジア政治外交史。世界平和研究所上席研究員、nippon.com企画編集委員長、内閣府国家安全保障局顧問などを兼任。
 著書として『中国近代外交の形成』(名古屋大学出版会、サントリー学芸賞)、『近代国家への模索 1894‐1925』(岩波新書)、『中国のフロンティア』(岩波新書)、『21世紀の「中華」』(中央公論新社)他多数。編著として、『東アジア国際政治史』(共編、名古屋大学出版会)、『チャイナ・リスク』(岩波書店)他多数。

 
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