失われた古代九州王朝の歴史(1)
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宗像沖ノ島とその遺産群が、平成29年7月10日に世界遺産登録となり、宗像大社と沖ノ島、小屋島、御門柱、天狗岩と、沖合にある筑前大島・福津市の(新原)・(奴山古墳群)の8つの資産が登録されました、喜ばしいことであり、祝福いたします。
が、しかし、主となる「神宿る島」(沖ノ島)は、全面上陸禁止と「神職のみが上陸する」となり、一般人が常時見学も出来ない「世界資産」となりました。新聞によると、沖ノ島では、4~9世紀に航海の安全を祈る祭事が行われ、朝鮮半島・中国製の装飾品など、約8万点の出土品はすべて国宝に指定され「海の正倉院」と呼ばれている。沖津宮、中津宮、辺津宮には、宗像三女神をそれぞれ祭り、古墳群は祭祀を担った宗像氏の墓とされると報道されました。
ユネスコからは当初、考古学的価値を重視し、「沖ノ島」と「鳥居の役割を果たす岩礁群」のみの登録を勧告されていましたが、行政と地域の官民合わせた陳情により全体が世界遺産として認められました。
ではなぜ、宗像大社の神宮寺として、鎌倉時代以来の長い歴史を持ち、同大社に向かい合う高台にある鎮国寺は8つの遺産に含まれず外されたのでしょうか。沖ノ島を中心としなければならないのに、宗像族の為に作られた宗像大社が中心となった世界遺産ということになります。
世界遺産登録に反対するものではありませんが、何かすっきりしません。歴史は、源流まで遡り、流れに沿い、文献・史蹟・遺構 などを参考に考察し、検証・推測で進めていくのが道筋と思います。
が、しかしながら、宗像沖ノ島から、多くの古代遺跡物が発見された事により、岩だらけで、猫の額もない様な狭小の小島に世界遺産に値する価値ある遺産があり、宗像海人族として、海の信仰のため、何らかの祭事は行われたとしても、正倉院に保存される、国宝級の物が発見されたからと言って、この重要な物がこの場にて発見される事の不思議さを考えて、どこから持ち込まれた物なのかを、先に論証すべきではないかと思いますが、いかがでしょうか。
この世界遺産認定により、ただの小島にあった装飾品が、それこそ、ただの 小島にあった装飾品として後々まで、片付けられてしまうことを懸念するからです。
私が疑問に思うのは、日本史ではこれらすべてが近畿大和王朝の出先機関だとして、九州王朝の存続を全て否定しているところなのです。(つづく)
【古代九州史家 黒木 善弘】<プロフィール>
黒木 善弘
1947年3月6日生まれ。九信電設(株)代表取締役。
社業は、福岡県警の交通信号分野の指定工事業者として、業界の会長職並びに電気工事業界でも、福岡県・全九州・全日本の役員を歴任し、2008年秋に黄綬褒章を受賞。
一方、社会奉仕活動として、ライオンズクラブに所属し、クラブ会長並びに地区・複合の各役委員を歴任し、現在福岡博多ライオンズクラブに所属する。
敬愛する古代史学者は、古田武彦氏、荒金卓也氏を挙げる。関連キーワード
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