2024年12月23日( 月 )

【弔辞】田村亮子(現:谷亮子)を育てた男・園田義男氏急逝

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ああ無念

 突然の悲報を耳にした。柔道教育者として知られる園田義男氏が1月29日、大動脈瘤破裂で急逝されたのである。72歳。
 ご承知の通り「田村亮子を育てた男」として名声を得ていた人である。母校福岡工業大学城東高校(現:福岡工業大学附属城東高校)柔道部監督、そして最後は校長も歴任されて退職された。
 その後、故郷の柳川市に帰られて余生を楽しまれていたが、柔道と離れることのできない生活を送っていた。
 今回の突然の悲報には関係者も愕然としている。福岡の親交ある経営者は「亡くなった通知を受けたときには、間違いであろうと思った」と驚きと惜しみの念に駆られ、呆然となったそうだ。

「田村亮子を育てた男・克って勝つ」を出版

園田 義男 氏

 1996年7月、アトランタオリンピックが開催される。筆者は「亮子はバルセロナでの雪辱を必ず晴らして金メダルを取れる」と確信した。「亮子を育てた男=園田義男」を発刊するべく強い使命感を抱いた。当時の園田先生に発刊の企画を打診したら「ぜひ、出版したい」という快諾を得た。

 そこから本の制作が始まった。最終的にはアトランタオリンピックの現場にも飛んだ。1996年7月26日(現地時間)、柔道軽量級(女性の場合48kg級)が始まった。亮子は準決勝で宿敵サボン(キューバ)を倒した。その際に園田先生を見ると、喜びの手を叩きながら「金メダル間違いない」という確信の顔つきであった。

 ところがだ。決勝戦はそれまで話題にも上らなかったケー・スンヒ(朝鮮民主主義人民共和国)が相手である。組み手の時点で亮子が力負けしている光景をみて嫌な感じがした。最終的に負けた。金メダルを逃した。園田先生の顔つきは「信じられない」という様相を呈して蒼白であった。

 亮子はオリンピックに2回挑戦して、金メダル取りに失敗した。ここから大きく成長したのだ、その後の2回のオリンピックでは金メダル2連覇をはたした。園田先生の助言を受け入れて強くなったのである。

 この1996年アトランタオリンピックを終えてようやく『田村亮子を育てた男・克って勝つ』が出版されたのである。当時の写真の園田先生は若々しい風貌であった。

出版にあたっての、園田先生の挨拶を紹介

あとがき
 この本を出すことは私の積年の夢であった。いざ、出版されるという段になって、実は少々面食らっている。
 私は生来の武骨ものである。半生を柔道一筋に歩み続けてきた男である。こうした私の話が、皆さまにご理解いただけるかどうか、不安になる。だが、私は柔道を通じて自らに得たものを私の胸の中だけに仕舞い込んでおくことはできなかった。限界に挑戦することの素晴らしさ、そして己に克つことの厳しさと、それをやり遂げたさいの壮快感、言葉にしてしまえば簡単なことであるが、それを何としてでも伝えたかった。
 私が田村亮子を指導することで、得たものはたくさんあった。「教育するものが教育される」という言葉を聞いたことがあるが、まさに田村亮子が指導者としての私を育ててくれた、そう思っている。現在、私が高校生を指導し、日本一のチームをつくり、フランスジュニア国際柔道大会で金メダルに輝く2人の選手を育てることができたのも、亮子との三年間があったからだと思う。その意味で、この本は私の人間としての成長の書でもある。
 アトランタ、きっと亮子は魅せる柔道を展開するだろう。勝って欲しいのだ。私はなにごとも勝たなくては意味がないと思っている。一番になることに意義を感じるというわけではない。勝つことが己に克つことだからだ。だから私は生徒にいつもいう。「勝て!」と。
 『克って勝つ』―私が自分の胸のうちで常にいい聞かせてきた言葉である。今、私は大きな夢を持っている。まだ私が力いっぱい生徒の練習台になれる間に、第二の田村亮子を育てるということである。それは今の私を超える私をつくらなければできないことだ。だが私は挑戦したい。
 この本を出すことを私は急いだ。病床の私の母に息子の人生を語りたかったからだ。柔道一直線の愚直な人生だが、そこからつかみ取った大きなものを語りたかったからだ。
 最後に拙著を出すにあたって、お世話になった福岡工業大学理事長伊藤慶次氏、福岡工業大学付属高校校長久保田篤美氏、奈良県警柔道師範小林勝広先生、(株)電子商事中野武志社長、(株)データ・マックス児玉直社長、南健編集長、(株)自由現代社竹村貞夫社長、(株)ゴング権藤理仁社長、ペーパーロード大石学氏、写真家大城憲治氏にこの場をお借りして一言お礼を述べておきたい。
 また私のよき理解者として拙著の出版を応援して頂いた全日本柔道連盟事務局長鳥海又五郎氏、(株)博報堂小林次雄氏始め柔道関係者の皆さまに深く感謝の意を表するものである。最後に田村和代、亮子母娘にはひとかたならぬお世話になった。今後とも世界の田村亮子として注視していきたい。

七月十五日 園田義男
(1996年)


 柔道一筋の園田義男氏の逝去は本当に惜しい!!あと10年は活躍をしていただきたかった。

合掌
【児玉 直】

 

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