【再録】積水ハウスの興亡史(4)
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「地面師詐欺」の余波を受け、会長と社長が解任動議を突きつけ合う泥沼の抗争劇を繰り広げる積水ハウス。かつてNet-IB NEWSでは、野口孫子氏の手になる同社の興亡を描いた連載記事を掲載した。積水ハウスへの注目が改めて集まっている今、2007年に掲載された記事を再録する(文中の人物、企業の業績などについてはすべて連載当時のもの)。
田鍋は戦前、朝鮮窒素にいたとき、物動課という工場の原材料の調達の業務を担当していたことがある。当時は戦時下、朝鮮総督府が戦略物資を管理していたので、総督府に行き、材料調達の交渉をしていた。
この経験で資材調達にもよく精通していた。田鍋の基本的考えは、資材の仕入れは商社、問屋を間に入れず、メーカーと直取引することだった。営業の直販制度と同じ考え方で、直接メーカーと話ができることで、直販で得たお客さんの生のクレーム、ニーズを直接納材メーカーに伝えられ、その生の声を基に、品質の改善、向上に生かすことができる。また、商品開発に生かすことができる。
間に商社が入っていたら、自分たちに都合の悪い情報は伝えられない恐れもあると思っていた。直取引は中間マージンをカットでき、その分安く仕入れができるのも大きな要因でもある。
もう1つ、主たる部材は一社購買するとした。このことは後で記述するが、石油危機が訪れた時、大いに助かるのである。
主な部材の一社購買は次の通り(当時)普通であれば、2、3社購買をして、コスト、品質を競争させるだろう。しかし、田鍋は違った。
「一社購買は信頼だ。我が社は浮気はしません。その代わり、安定供給はしてください」という意味が込められていたのだ。一社に指名されたメーカーは伸び盛りの積水ハウスからの売上が、年々、黙っていても増えるばかり。これほどありがたいことはない。
しかし、神のいたずらか、安定を望まないときがある。1973年(1973)突然、全世界を巻き込む石油危機に見舞われるのである。2007年、原油は暴騰し続けている(※掲載当時)。パニックになってもおかしくない状況であるが、30年前の石油危機で学習しているので、何事もないように、冷静である。価格は上がっても、需要と供給が安定しているからである。
1973年秋、晴天のへきれきのように、中東産油国6カ国、OPECが一方的に公示価格の引き上げを宣言、1バーレル3.011から一挙に5.119まで、実に70%の大幅値上げを発表、同時に石油の生産削減を実施。誰もが経験のないことだった。折りしも、日本経済は列島改造ブームによる好景気に沸いている最中の出来事であった。
1972年、田中角栄の登場で「日本列島改造論」を旗印に、その政策の推進が図られ、日本中、総不動産屋といわれるほど、不動産ブームに沸きかえり、景気は過熱ぎみであった。原油は上がり、輸入量も削減され、一斉にあらゆる物が値上がりし始めた。物がなくなる、大幅に値上がりする、という不安から、今のうちに買いだめしようと、トイレットペーパー洗剤などの日用品がスーパーからなくなる騒動にもなった。
この騒ぎはあらゆる物資に波及して行った。建設資材も一挙に40%から50%値上がりした。建設業界は建設用資材の入手難に陥り、その確保に窮々としていた。積水ハウスは主たる資材は一社購買をしていたため、各社は積水ハウス向けを最優先に、必要量を満額供給してくれ、工場の生産ラインが止まることはなかった。各会社は会社の方針として、積水ハウスには安定供給の責任があるとして、ほかの得意先の要望を削りながら田鍋の恩義に報いてくれたのだ。
エピソードとして、久保田の屋根材、カラーベストが市場にも問屋にもない状況の時、積水ハウスの現場にはどこに行っても野積みして置いてあると、全国の問屋、工務店から苦情が殺到していることを久保田の営業が話していた。積水ハウスも、当時、現場任せ、工事店任せの資材、木材、石膏ボードセメント、電線など、もろに影響をうけ、入手難に陥っていた。この経験から、本社で一括購入して、工務店に流す方式を採用したのはこのときからである。
一方で、田鍋は資材の確保に奔走するかたわら、積水ハウスの命運をかけた重大な決断をしようとしていたのだ。次回に記述したい。(文中敬称略)
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