「鉄道は国家なり」~国土を支える基幹インフラの過去・現在・未来(3)
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JR九州 初代社長 石井 幸孝 氏
鉄道の登場が当時の物流や産業にどれほどのインパクトを与えたのか、現代の我々にはとても想像できない。携帯電話、インターネット、AIなど「時代を変える」技術を日々目にしているが、鉄道もまた世界を変えた技術だったのだ。鉄道が、九州と日本の現在と未来にどのような影響を与えるのか。国鉄分割民営化で誕生したJR九州を上場会社にまで育て上げた石井幸孝氏が説き起こす。
国鉄解体からJR九州上場まで
こうして誕生した日本国有鉄道。世界が驚いた高速鉄道である新幹線を開発したという「光」の部分ばかりではなく、国営企業のおごりを捨てられずに慢性的な赤字体質へと転落していった「影」の部分が積もり積もって、ついに1987年の国鉄分割民営化へと至ってしまいます。国鉄分割民営化に際して、本州にあってドル箱である大都市圏や東海道・山陽新幹線をもつJR東日本、東海、西日本に対し、「三島会社」といわれるJR北海道、四国、九州は構造的に赤字経営が避けられないとされていました。
九州の人口は2001年から減少に転じ、当然JRを利用してくださるお客さまも減っていきます。さらに九州では、高速道路網の発達によって各社が高速バスの運行に力を入れ、それまで長距離交通の花形だったJRの特急電車がお客さまを奪われる状況になっていました。
この厳しい状況を覆し、JR九州は東証一部上場にまでこぎつけます。それは鉄道事業へのテコ入れに加え、徹底した多角化にチャレンジしたためでした。
まずは鉄道事業です。特急の徹底した高速化と増発、新駅の設置を行いました。加えて、「ゆふいんの森」号にはじまるD&S(デザイン&ストーリー)列車、今ではJR九州の宝となった観光列車の運行をスタートしました。この試みが、現在競争率20倍を超える予約が殺到している「ななつ星in九州」に結実しました。そして、11年3月には九州新幹線の博多~鹿児島中央間が全通し、国土軸を貫く幹線鉄道としての新幹線が、大きく完成に近づきました。
しかし、これだけではJR九州の経営基盤は安定しません。そこで、当初から鉄道以外の事業に乗り出しました。同じ鉄道を業としながら、ホテル業、旅行業、百貨店経営など、さまざまな事業に手を広げ、鉄道事業の10倍もの売上を上げていた近畿日本鉄道(近鉄)が、良いお手本になりました。
「鉄道以外の事業で結果を出さないと偉くなれない」という企業風土をつくることができたのが、多角化成功の1つの原因だと思っています。旧国鉄では、鉄道事業以外は重視されず、「OBのための救済措置」という扱いをされていました。しかしJR九州では、優秀な中堅幹部を優先して鉄道以外の部門に配属したのです。これで社内の意識が大きく変わり、今では「マンションをやりたい」「飲食をやりたい」といってJR九州に入社してくる若い社員も増えました。
焼き立てパンの「トランドール」、高級和食の「うまや」、中華の「華都飯店」などの飲食事業。「JR博多シティ」「MJR」シリーズのマンションなどを展開する不動産事業。そして韓国・釜山を結ぶ高速船「ビートル」。これらさまざまな新規事業と従来の鉄道事業を車輪の両輪にして、JR九州は上場をはたすことができました。
(つづく)
【聞き手・文・構成:深水 央】<プロフィール>
石井 幸孝 (いしい・よしたか)
1932年10月広島県呉市生まれ。55年3月、東京大学工学部機械工学科を卒業後、同年4月、国鉄に入社。蒸気機関車の補修などを担当し、59年からはディーゼル車両担当技師を務めた。85年、常務理事・首都圏本部長に就任し、国鉄分割・民営化に携わる。86年、九州総局長を経て、翌87年に発足した九州旅客鉄道(株)(JR九州)の初代代表取締役社長に就任。多角経営に取り組み、民間企業JR九州を軌道に乗せた。2002年に同社会長を退任。関連キーワード
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