新冷戦・米中覇権争い 文明論から見た米中対決(1)
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福岡大学 名誉教授 大嶋 仁 氏
米中いずれも「文明」ではない
よく耳にする言葉に「文明」と「文化」がある。私の理解では、「文明」はメソポタミア文明、インダス文明、黄河文明、古代ギリシャ文明というように、その影響が一定の国の範囲にとどまるものではなく、広域に浸透し、1つの大きな共通文化を構成する土台となるものである。一方、「文化」はどんな民族にも、どんな社会集団にも存在するもので、それぞれの社会組織に見合った言語と生活様式に具体化されている。従って、文化には国名を付けて「日本文化」などといえるし、また「関西文化」とか「沖縄琉球文化」とか「アイヌ文化」ともいえる。しかし、「日本文明」といった表現はどう見てもおかしく、事実、そうした表現はめったに耳にしない。
では、中国やアメリカは「文明」かと言われれば、躊躇せざるを得ない。中国で生まれた文明は黄河文明、漢字を整備した漢の文明であって、それが朝鮮や日本の文化の基礎をつくったことは事実である。しかし、現在の中国はそうした影響力は少しももっていない。経済力があるからといって、それだけでは「文明」にならない。
一方のアメリカはというと、近代のヨーロッパで生まれた科学を発展させているという点では「文明」の名に値しそうだ。しかも、アメリカの価値観は18〜19世紀の価値観、すなわち「基本的人権」とか「言論の自由」とかの啓蒙主義の価値観であり、これが世界中の国々の社会と文化に影響を与えているのだから、アメリカこそは「現代の文明」だと言いたくなる。
ところが、そのようにいえないというのも、なにしろその中核となる科学も啓蒙主義もヨーロッパ産であり、アメリカが生み出したわけではないことが1つ。もう1つは、アメリカには哲学が欠如しているからである。アメリカは行動の国ではあっても、思索と熟考に欠ける。戦争に勝つための知力はあっても、何をすれば人類全体が幸福になれるか、そのことを考える力が乏しい。これでは到底「文明」とは呼べないのである。
1つ例を出そう。日本が連合国と戦って敗れた戦後において、アメリカは率先して日本を「民主化」しようとした。今話題になっている日本国憲法も、その産物である。そこには言論の自由がはっきり謳われており、一見すると、それは戦前・戦中の日本が言論統制をしていたことを克服するためのものである。ところがどうだろう。当のアメリカは徹底的に戦後日本の言論を統制したのである。日本が社会主義化しないようにと。
そういうわけで、米中いずれも「文明」ではないと結論したい。ただし、前者が近代のヨーロッパの文明の延長線上にあり、その文明の恩恵が世界中におよんでいるのに対し、後者である中国にはそれだけの影響力がないので、どちらが勝っているかといわれれば、間違いなくアメリカである。
中国は急速に経済発展し、世界に対する発言力を高めてきてはいる。しかし、まだまだ欧米と対等にわたり合うには遠い。今、中国は「我らを見よ」と声高に自己主張をしているが、それはなんとしてでも自らの存在をアピールしたいからである。その焦りにも似た仕草こそ、中国が「文明」からまだ遠いことを示している。
中国が現代世界のなかで自らを誇ることができない理由の1つは、なんといっても科学的思考の未発達である。たとえアメリカと対抗できるほどの経済力をもつに至ったとしても、科学的思考の発達が不十分であれば、アメリカには勝てない。なるほど中国にも高度な技術があり、世界水準に達している面もある。しかし、それとて、幾多の留学生をアメリカやヨーロッパ、そして日本に送り込んで得た結果なのである。しかも、それによって中国が得たものは本当の意味での科学ではない。中国は日本と比べても、はるかに科学において後れをとっている。
そもそも科学とは世界を合理的に理解する1つの方法で、中国にもこれに匹敵するものが中世にはあった。朱子学がそれである。しかし、朱子学は合理的ではあっても、科学とは異なる。科学においては実証を経なければいかなる理論も仮説にすぎない。朱子学には実証という手続きがなかったのである。つまり、朱子学の世界観が普遍的妥当性をもっているかどうか、それを証拠立てることはできなかったのだ。
中国において科学的思考が発達しにくい原因は、その社会および政治体制にある。科学は既存のシステムに疑問を投げかけ、そこから新たな説を打ち出し、それを実験によって検証しようとする。ところが中国では、既存のシステムに疑いをもつこと自体が国家体制にとって危険である。従って、科学の発達は抑制せざるを得ないのだ。技術だけなら、これを他国から輸入し、それに習熟すれば良い。科学を発達させるには、それにふさわしい社会システムが必要である。
もう1つの中国の弱みは、アメリカが代表する啓蒙主義の価値観を超える価値体系を世界に対して打ち出していないことである。すなわち、基本的人権や自由といった啓蒙思想を批判し、それを乗り越えるような思想体系をもち得ていない。ここに、中国が「文明」として現代世界に君臨できない最大の理由がある。
中国がマルクス主義を信奉していたころは、まだよかった。なぜなら、マルクスの思想は啓蒙主義を超える思想として生まれ出たものだからだ。ところが、中国は名よりも実をとり、肝心のマルクス主義を捨ててしまった。資本主義化してしまった。そうなれば、むしろ本物の資本主義と啓蒙主義のアメリカのほうがマシ、ということになるのである。
(つづく)
【大嶋 仁】<プロフィール>
大嶋 仁 (おおしま・ひとし)
1948年鎌倉市生まれ。日本の比較文学者、福岡大学名誉教授。 75年東京大学文学部倫理学科卒業。80年同大学院比較文学比較文化博士課程単位取得満期退学。静岡大学講師、バルセロナ、リマ、ブエノスアイレス、パリの教壇に立った後、95年福岡大学人文学部教授に就任、2016年に退職し、名誉教授に。関連記事
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