電力から情報通信、道州制、演劇興行まで~傑物・芦塚日出美氏の足跡をたどる(4)
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福岡経済同友会で「道州制」実現に全力を注ぐ
芦塚日出美氏は、九電の副社長と情報通信本部長に就任した2003年、福岡経済同友会の常任幹事と、九州経済同友会の企画委員長にも就任するなど、社外での活動にも力を入れ始めていた。そのなかでも、最も注力していたのが、当時全国的な潮流が生じていた「道州制」実現に向けての活動だった。
「道州制」とは、行政区画として“道”と“州”を置く地方行政制度のことであり、北海道以外の地域に複数の“州”を設置し、それらの道州に現在の都道府県より高い行政権を与える構想のことである。
当時、社会経済がグローバル化するなかで、九州がどのように自らの地域特性などを活用し、産業政策や社会資本整備を考え、地域の活性化を図っていくのか――。また、企業や住民の活動範囲が広域化していくなかで、住みやすく、魅力ある社会に向けて、どのように雇用や福祉、教育などの社会政策を進めていけばいいのか――。
そうしたことを考えた場合、中央集権ではなく、地域が財源をもって施策を考え、そして実行できる仕組みへと変更していくことが必要だとし、芦塚氏らは、九州のことは九州で考えて決めていく、“自立経済圏九州(九州自治州)”の実現を目指して精力的な活動を行った。
04年には「九州はひとつ委員会」を設立し、芦塚氏が代表幹事に就任。翌05年には欧州各国の道州制調査の実施のほか、九州経済同友会の意思として「九州自治州構想」を内閣府特区推進室長に提言し、九州地域政略会議で構想を発表した。さらに、九州地域戦略会議の下で道州制検討委員会を新設して検討を始め、翌06年には九州各県の全知事と経済界各団体が一同で「九州7県には道州制が必要である」との合意を得るに至った。
翌07年には内閣府で「道州制ビジョン懇談会」が発足し、九州を代表して芦塚氏が議論に参加。当時、九州は道州制導入の先駆者として、中央を含めた他地域から注目される立場であったという。
「私のこれまでの人生を振り返ってみると、電力ということを別にすれば、最も情熱や力を注いできたのが、この道州制の実現に向けた活動だったかもしれません。いろいろと大変なことも多々ありましたが、皆で一丸となって九州地域の活性化について真剣に考え、海外視察も含めてさまざまな活動を行い、取り組んできたことは、とても楽しく、そして充実していました」――と、芦塚氏はこの道州制に取り組んでいた日々のことを懐かしそうに述懐する。
こうして芦塚氏は、当時本業であった九州通信ネットワークの社長としての経営立て直しの傍ら、道州制実現に向けた活動に精力的に取り組んできたのだが、残念なことにそれは唐突に終焉へと追いやられることになる。
その直接的な原因となったのは、09年9月に起こった政権交代だった。このとき民主党政権へと変わったことで、それまで自民党政権下で進めてきた内閣府の「道州制ビジョン懇談会」が突然廃止に。「自民党の政治主導による道州制の導入は、真の地方分権を進める阻害となる。民主党は、基礎自治体主体の真の地域主権国家を目指す」――というのが、当時の新政権の言い分だ。
こうして道州制ビジョン懇談会は解散となり、道州制に向けた全国的な潮流は、残念ながら終焉を迎えた。
その後、芦塚氏は11年春に福岡経済同友会の代表幹事を退任。同時に、九州および全国経済同友会での活動も後任と交代し、芦塚氏は約8年間におよぶ道州制実現に向けた活動を“卒業”した。
(つづく)
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