「人口減」の先に待ち受ける、激変時代(2)~身内の死の接近に己の寿命を予感する(前)
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筆者夫婦の兄弟たちが、死の手前で悪戦苦闘している。その様子に触れ、「私たちも死を迎える年齢に近づいた」と実感する。それを実感すれば焦って「自分の生きた証を残したい」という思いが高まる。同時に「今日、この1週間、いやこの1カ月、はたして生きた証を残しただろうか」と焦りつつ自問自答する。大半は「たいしたことをしていない」と悔いるばかりである。
病気に負ける人、立ち向かう人の明暗
男性は78歳が生死・健康の分岐点であろう。78歳を境に急速に老化が進む。ゴルフ仲間の大半は、この78歳前後に病が判明し、ゴルフ場に姿を現すことがなくなる。
「貴方は癌です」と通告されると、まだ『ステージⅣ』でもないのに最終局面に追いやられたように塞ぎこんでしまう。豪快な男と見込んでいたのであるが、病に対しては気持ちが負けしてしまう。これでは癌にあえなく負けてしまうだろう。
ある60代半ばの婦人は10年超、がんと闘ってきた。闘病の初期段階は医者の指示通り、抗生物質主体の治療に専念していたが、「医者にいわれるままの治療ではいけない」と決断した。
温浴治療から免疫治療まで、あらゆるものに挑戦してきた。この「生命に対する執着心の強さ」には感服する。
彼女は毎夜、ベッドのなかで自身の体調を自己点検し、死への恐怖を感じながらも「精一杯生きよう」と念じているそうだ。
病気に立ち向かう気迫をもった人、病と戦う前からあきらめる人、対照的な両者を見て、「己が同様の局面を迎えたならば、どういう心境に陥るのか」を自問自答する。
別れの分岐点に多数遭遇
義姉夫婦とは12年前、ニューヨークに旅行した(義姉夫婦のことは後で触れる)。その時は「これが最後の旅行になる」とは考えもしなかった。
「またどこかへ旅行しましょう」と挨拶して別れた。それから6カ月後、人間ドックで肺癌であることがわかった。それから義姉は12年間、癌との戦いに明け暮れ、もう最終ステージに立っている。「姉には本当にお世話になった。もう一度、思い出を残したかった」と妻は泣く。
田舎の同級生たちとは60歳まで、お互い忙しく、会う機会が少なかった。しかし、60歳を過ぎ、現役を離れてからは会う機会が増えた。
この10年間、1年に1回は会っていた幼稚園の時からの友人が、やはり癌で亡くなった。2年前の9月、福岡に立ち寄った際、「6月に検査したら癌と診断された」と洩らしていた。それから1年半で逝去したのである。
東京で開かれた同窓会で、中学・高校の同級生だった女性と10年ぶりに再会したのは昨年7月のことであった。その女性は今年5月にくも膜下出血で急逝したことが告げられた。「もう一度会いたかった」と惜しんでも二度と会えない、別れが多発している。
身内においても然り。実兄(次男)のことである。4月には故郷・宮崎で一緒にゴルフをした。5月には来福して会食した。その時、どこか元気が無かったのが気がかりだった。
6月中旬に訃報が入る。「脳梗塞で意識不明の状態」というのである。「もう一度、ゴルフをしたかった」「もう一度、宮崎の焼酎を飲み明かしたかった」と悔やんでみても後の祭りである。
(つづく)
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