ソフトパワー戦争に突入したアメリカとイラン 日本は仲介役をはたせるのか?(2)
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国際政治経済学者 浜田 和幸 氏
バグダッドで殺害されたソレイマニ司令官
では、イラン革命防衛隊のソレイマニ司令官はいかなる人物だったのか?
イランの国民的英雄は1957年3月11日の生まれ。貧しい農家の出身である。父親は借金を重ね農業を営んでいたが、借金の返済が追いつかず、破綻。ソレイマニ氏は13歳から家計を助けるため、建設現場で働き始めた。彼が生まれる4年前の53年、アメリカはCIAの工作で当時のイラン政府を転覆させ、傀儡政権を樹立。反米活動家や労働者、知識人の多くが投獄された。
当時のアメリカの中東政策はイスラエルとサウジアラビアを軸にイランもコントロールするという「ニクソン・ドクトリン」。そのため、アメリカからイランとサウジアラビアには膨大な武器が輸出された。77年、カーター大統領は「世界で混乱が広まるなか、イランは最も安定した国」と宣言。ソレイマニ少年はそうした情勢下で育った。
しかし、87年、アメリカの傀儡であったパーレビ政権の圧制に国民がついに怒りの狼煙を上げた。労働者のストライキが大規模化し、イラン経済の屋台骨の原油施設も稼働しなくなった。大混乱の末、シャーが追放され、ホメイニ政権が誕生したのが79年2月11日のこと。当時、22歳のソレイマニ青年は革命防衛隊に加わり、最前線で戦った。その功績が買われ、若くして歩兵師団の司令官に抜擢された。
80年、アメリカはイラクの独裁者サダム・フセインを味方につけ、イラン攻撃を開始。8年間におよぶイラン・イラク戦争の始まりである。この間、100万人以上が犠牲となった。アメリカが提供した化学兵器をイラクが使用したことも被害を大きくした。この戦争中、勇猛果敢な軍人として大きな役割をはたしたのがソレイマニ氏であった。88年、アメリカ海軍はイランの民間機を撃墜。66人の子どもを含む、乗客、乗員290人は全員死亡した。この事件の1カ月後、戦争はようやく終結。
トランプ大統領はソレイマニ司令官をテロリストと断罪するが、正規軍の最高幹部である。貧しい生い立ちから政治の腐敗やアメリカの横暴を目の当たりにし、祖国の再建に邁進する宗教心の厚い指導者であった。彼の葬儀に際し、最高指導者のハメネイ師が公然と涙を流したのも当然であろう。
では、ソレイマニ司令官がイラクのバグダッドの空港でアメリカのドローン攻撃で殺害されたのはなぜなのか?バグダッドを訪問した目的は何だったのか?実は、彼はイラク政府がイランとサウジアラビアとの対立を解消するための仲介役を担っていたのである。ソレイマニ司令官はイラクのマハディ首相に手渡すために、イラン政府の提示した調停案への回答文書を携えていた。水面下でサウジアラビアとイランの交渉が始まっていたと推察される。
残念ながら、こうした動きはアメリカの望むものではなかった。なぜなら、イランとの対立があるからこそ、サウジはアメリカの武器を大量に買ってくれるからだ。イランとサウジの間で和解が成立すれば、トランプ大統領を支えるアメリカの軍需産業は大きなビジネスを失うことになる。アメリカのモットーは昔も今も「戦争ほど儲かるビジネスはない」というわけだ。
(つづく)
<プロフィール>
浜田 和幸(はまだ・かずゆき)
国際未来科学研究所主宰。国際政治経済学者。東京外国語大学中国科卒。米ジョージ・ワシントン大学政治学博士。新日本製鐵、米戦略国際問題研究所、米議会調査局などを経て、現職。2010年7月、参議院議員選挙・鳥取選挙区で初当選をはたした。11年6月、自民党を離党し無所属で総務大臣政務官に就任し、震災復興に尽力。外務大臣政務官、東日本大震災復興対策本部員も務めた。最新刊は19年10月に出版された『未来の大国:2030年、世界地図が塗り替わる』(祥伝社新書)。2100年までの未来年表も組み込まれており、大きな話題となっている。関連キーワード
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