首長の最大の役割は、人口増と増収の再確認(前)
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今回の大久保勉久留米市長への取材目的は「筑後川決壊への対策」に関することであった。本題を終え、取材内容が久留米市市政総論に転じた。その取材を通じて大久保市長から首長のなすべきミッションは(1)人口増対策、(2)増収(税収増)であることを改めて再確認させられた。久留米市民にとって最適の市長を迎えたと確信した。
大久保市長は常に福岡を意識する
まず、久留米市と福岡市を比較しよう。有馬藩石高は21万石、筑前黒田藩石高は47万3,000石(支藩分割の計算も含む)。およそ2.2倍の差がある。1972年前後の人工比較(福岡市が政令都市になった時点)では久留米市約25万3,000人、福岡市約89万人と3.5倍の開きとなった。そして現在の比較は久留米市が約30万4,000人(広域統合を含めている)、福岡市が約160万人(政令都市になって周辺合併はゼロ)となり5倍の開きとなった。
「久留米市の人口は、微減から無策であれば減少傾向になる分岐点に立たされている。どうして福岡市は160万人にまで膨張する都市に成長したのか?」と日々、自問自答した。結果、「福岡と対抗しても何も得るものはない。“福岡都市圏の久留米市であります”とセールスした方が利を得やすい」という結論を下した。首都圏の感覚からすれば久留米地区は福岡都市圏になる。この「久留米は福岡都市圏でございー」とアピールしながら実利を積み重ねているのは、さすが元ビッグトレーダーだ。
久留米人のプライド
久留米の福岡(博多)と比較し競い合うプライドの源泉は、江戸時代初頭にある。有馬藩、黒田藩と隣り合わせでお互い対等に地方統治を行い、競い合ってきた歴史背景があった。廃藩置県の初頭、久留米市および筑後地区は三潴県でスタートした経緯がある(あとで福岡県の統合される)。明治時代になっても「久留米は久留米」というプライドは沸々と燃えていた。
久留米市の歴史を顧みても頷けることばかり。まずは第18師団を擁した軍都として発展した。そして何よりもゴム靴の産業が育成されていたが、1922年、第一次世界大戦後のドイツ軍の捕虜たちがタイヤ製造技術を伝授した。それがきっかけとなり、現在のブリヂストンが誕生した。久留米は福岡に皆無だったゴム関連製造業の技術集積が進んでいった。だからブリヂストンだけでなく、数多くの技術会社が全国に、世界に羽ばたいていったのである。
最近の自慢は教育都市であることだ。久留米大学医学部は、医師を久留米だけでなく福岡県全体に輩出していることで医術ビジネス界を牛耳っている。久留米大学付設高校、明善高校の高い進学率を誇っているのが久留米市民の自慢だ。客観的に見て、30万人中核都市としては教育設備の充実は高いと評価される。この地域伝統に育った大久保市長が福岡を意識する気持ちは十分に理解できる。久留米市役所は20階を超える高層建築物で圧巻される。福岡市のそれをはるかにしのぐ。これも久留米人のプライドの証か!!
ただ久留米市の発展を阻害する要因がある。【地ゴロ能無しカボチャ】の存在である。クルメ田舎者が権力を私物化していることだ。その張本人が久留米商工会議所会頭の本村康人氏である。会社を倒産させた人物が会頭に3期就任するとは驚きだ。また木村氏の母校である明善高校の後輩、JCの後輩たちを久留米商工会議所の副会頭に並べて政権基盤を安定させる画策を図る。これでは商工会議所は久留米市振興のリーダーシップを発揮できるはずがなかろう。
昨年秋の会頭選挙に向けて、水面下で人選がなされていた。該当資格のある企業経営者たちは数多くいるのであるが、皆久留米市を外れて東京、全国、果ては海外での活躍に奔走している。それぞれに「地元滞在時間が少ない」ことを理由にことごとく辞退した。あとは地元の【地ゴロ能無しカボチャ】トップの本村氏に3期目の会頭のポストが転がりこんできた。久留米市民もプライドをもっているのであれば、経営者共々大きな反対行動を行うべきであったろうに。
世界の視野をもった逸材が久留米を活性化させる
久留米の低空飛行状態を上向させる人材は、地元出身で世界(あらゆる業種という意味)に精通した逸材しかいない。大久保氏は選挙の初陣式で、前市長である楢原市政継承、明善高校の先輩・本村商工会議所会頭寄りの姿勢を示していた。しかし、大久保市長は必ずしも同調せず是々非々の態度をとっているように見える。市長に就任してからは、矢継ぎ早に我が信念の政策実行に邁進してきた。
余談だが、大久保市長の前任市長たちは楢原前市長を含めて3代にわたって市職員OBであった。3人ともおよそ2期4年×3人=24年、OBたちが市長ポストをたらい回ししてきた。この24年間、久留米市浮揚政策を打てずに財政悪化などを招いていた。加えること、楢原前市長は本村氏の腰巾着で市民からブーイングを浴びていた。
大久保市長は「私は元トレーダーです」と語る。要は「常に出口を考えている」ということだ。モルガン・スタンレー証券の10年間の勤務経験は後述するが、市政運営・コロナ蔓延対策に生かされている。と同時に12年間の参議院議員としての活動蓄積がビッグなパワーに直結しているのだ。野党議員で終始したのでなく、政権与党議員として内閣の要職にも就いた実績が首長としての采配ぶりに大きく寄与している。
まずは驚きの1点。「コロナ蔓延対策はいかに陣頭指揮を執りますか?」という質問に対して「感染防止策は徹底的に推進します。一方では元に戻れないこともあるでしょう。その筆頭が学校の授業の在り方です」と回答してくる。重大なコロナ蔓延という事態に直面しても平然と平易に解決策を準備しているのには驚いた。
(1)最悪、生徒たちの自宅待機は夏休みまで続くと想定する。(2)だからオンライン化の授業継続が必要となる。(3)生徒たちの3割はオンライン授業を受けるネット環境が自宅にない可能性もあるので、タブレットの貸与等検討しないといけない。(4)だが今後の学校授業はオンライン化が主流になる。教師はコーチ役になっていくだろう。(5)久留米市市政方針のなかにはインターネットを活用したテレビ会議を主流にする、学習タブレット端末を導入して事業を進めることを謳っている。
驚きの意味をもう少し解明する。頭の良さが抜群であることは認める。それよりも何よりも多彩な経験がパワーになっているということだ。トレーダーは生きるか死ぬかの大博打を張ってきた。前述した「いつも最後の出口を想定」する。元には戻らない。コロナショック以降に新しいものの到来を予知する。「学校授業のオンライン化が常識になる」ということだ。そのオンライン化主流の閃きは、外資企業で勤務した経験からである。
やはり中核都市久留米市のような規模の首長には別次元の世界、とくに厳しい民間経験をなした実績が必要である。そして、大久保市長のように強い郷土愛の持ち主であることだ。
詳細は、久留米市「市政運営方針」を参照してほしい。
(つづく)
大久保 勉(おおくぼ・つとむ)
1961年生まれ、久留米市安武町出身。明善高校、京都大学経済学部卒業後、84年(株)東京銀行(現・三菱UFJ銀行)入行。94年モルガン・スタンレー証券へ転職。2004年7月参議院福岡選挙区で初当選し、参議院議員を2期務める。18年1月久留米市長選に当選、現在に至る。同氏の人生を振り返ると10年ごとに大転換の決断をしているのが特色である。関連記事
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