2024年12月26日( 木 )

「コロナ恐慌革命」以降どうなるのか(4)~「百貨店崩壊」危機

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食の「自主確保」の重要性

 取れたてのタケノコ、約30kgが送られてきた。泥が付いていたので、洗って泥を落とし、皮をむいて大きな鍋で約4時間ゆがいた。久しぶりに大量の料理の仕込みを行い、清々しい気分になった。本日(27日)、社員たちに「これで2日間は食いつなげる」とタケノコを渡した。

 決して「笑い事」ではない。今後、食料が「統制される」可能性は十分ある。食料を自給できる地方が力を発揮する時代が間近にきている(前回の(3)を補足する)。

百貨店は潰れる

 「コロナ恐慌革命」の波に飲み込まれ、さまざまな業種が淘汰され、消滅していくだろう。その代表格が百貨店である。たとえば、三越の歴史を遡ると呉服屋として江戸時代中期にスタートしている。この百貨店業態が全国の地方都市にまで浸透したのは昭和10年のことである。

 この年まで、振興政策を背景に全国津々浦々に百貨店が林立した。少なくとも県庁所在地には1店はあった。そして地元の「名門」百貨店として栄華を誇ったのは戦後のわずか30年間程度。そして、コロナの襲来で最後のトドメを刺された。

これでは「呼吸もできない」

 今後、行動が規制されるようになるとどうなるのか!典型的なのは「百貨店急減」である。売上急減が6カ月も続けば「全店アウト」。表現を換えれば「真綿で首を絞められて呼吸ができず死線をさまよっている状態」である。売上減少が20~30%なら手の施しようがあろう。ところが前年同期比70%という「前代未聞の悲惨な現実」が発表され出した。まさに「呼吸もできない危機」である。

 この5年の「インバウンドバブル」の波に乗って売上が急増した業種の代表ともいえるのが、都市部にある百貨店である。銀座通りを歩いていると中国人たちが銀座三越から出てくる。一様に三越の袋を抱え、さっそうと歩く光景が日常化していた。「中国人観光客を筆頭にインバウンドのおかげで売上が対前年比10%増となった」という業績発表を以前耳にした。百貨店にしてみれば30年越しとなる好調な業績である。30年前の業績貢献の原動力は日本人の豊かな「懐事情」であった。まさしく内需の勃興である(平成初期のバブル)。

 ところが銀座を歩きながら「いつまで続くか、インバウンドバブル」と懐疑の念をもっていた。そこにコロナが襲来し、国境封鎖を招き、外国からの訪問客が途絶えたのだ。業績回復は当分、期待できそうにない。仮に自粛生活が6月まで続行されたならば、売上高60%以上ダウンという恐怖の事態が起こることも懸念される(甘い見通し)。もし6月以降に自粛の解除がされたとしても最低30%を割ることは間違いない。こうなると全百貨店が「窒息死」する。

百貨店のビジネスモデルはとっくの昔に崩壊していた

 銀座三越より西側約300mの場所に「GINNZA SIX」がオープンした。第一印象は「これは百貨店ではない!」というものだった。専門家の意見・評価はさまざまあるだろうが、筆者の率直な意見としては「自ら百貨店業態を見捨てたな」というものだった。250件におよぶテナントを入れた家主業(品よくいえばデベロッパーへの変貌)への転進だったのだ。
 前進したかどうかの評価はわかれるところだろうが、「GINNZA SIX」 の業態は自ら百貨店業態を抹殺したのに等しい。

 ここに到達するまで、(1)まずは若者の百貨店離れ(かれこれ30年になる)、専門店の勃興、(2)ネットショッピング台頭の流れ。これで百貨店業態が駆逐されるかと予想されていた。(3)前述したように一時的なインバウンドの勃興により延命できるかのような期待が生じたが、「コロナ恐慌革命」により、一瞬にして百貨店業態が粉砕されようとしている。

 百貨店のピークは前述したように昭和30年(1955年)から昭和60年(1985年)までのわずか30年間だったのである

(つづく)

 

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