地球環境を踏まえた持続可能な「市場経済システム」を模索!(2)
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(一財)国際経済連携推進センター 理事 井出 亜夫 氏
多くの人々は、『歴史の終わり』(フランシス・フクヤマ著)や『フラット化する世界』(トーマス・フリードマン著)に描かれた、民主主義で自由経済のグローバル化した世界がほとんど虚構にすぎなかったと気づき始めている。トマ・ピケティ氏がベストセラーの『21世紀の資本』で指摘したように、グローバル化は、富の格差拡大やそれに伴う政治・社会問題などを生み出し、市場経済システムが不安定であると自覚したためだ。
(一財)国際経済連携推進センター理事の井出氏は、「自然を克服する欧米思想によってもたらされた近代は、もはや機能していない。新型コロナ後の世界では、人間の相対性や相互依存性に着目した「東洋思想」を振り返り、今後の対応に役立てるべきではないか」と語る。欧米はササラ型社会、日本はタコツボ社会
――日本の指導者には、ヨーロッパなどと比較して「人類・地球」「自然・環境」などを念頭に置いた発言がとても少ないように感じます。
井出 これまでにも多くの人が、その点を指摘しています。自由民権運動の指導者で、日本のルソー(※1)とも言われた中江兆民氏(※2)は病気で余命1年と言われたときに執筆した著書『一年有半』のなかで、「わが日本、いにしえより今に至るまで哲学なし」という言葉を残しています。インド哲学者・仏教学者・東大名誉教授であった中村元氏は「所属組織における帰属意識はものすごくあるが、この国には体系的価値観(ある意味の哲学)がない」と語っています。政治学者・思想史家であった丸山真男氏は、著書『日本の思想』のなかで、「欧米は『ササラ型社会』(※3)で、日本は『タコツボ社会』である」と言いました。
つまり、欧米では、企業や政党、自治体、組合などの目的があってつくられた機能集団が多元的に分化していても、他方では、教会、クラブ、サロンなどの伝統的な集団や組織があって、これが異なった仕事に従事する人々を横断的に結びつけ、コミュニケーションのための通路となっています。しかし、日本では、そういった役割をするものが乏しく、民間の自主的なコミュニケーションのルートがはなはだ貧弱であるため、横のつながりで連絡が取れていないということではないでしょうか。
幼少時にフランス以外の世界の存在を体得
――井出先生はイギリスへの留学、OECD(経済協力開発機構)の日本政府の代表部参事官、経済政策委員会の日本政府代表など、ヨーロッパでのご経験が豊富です。日本と比較してヨーロッパはいかがですか。
井出 アメリカ、フランスに外遊経験のある永井荷風氏(※4)は著書『断腸亭日乗』(日記)において、大逆事件(※5)とドレフュス事件(※6)を対比して、文豪のエミール・ゾラ氏はドレフュスの無罪を主張して、抗議の先頭に立ったが、大逆事件で幸徳秋水氏の無罪を主張できない明治知識人の現状を嘆きました。このことは、日本の近代小説がその後、私小説に向かうことを余儀なくされた社会的背景でもあったと考えられています。
また、イギリス留学経験のある夏目漱石氏は、著書『三四郎』のなかで、熊本から東京へ向かう三四郎が「日本もこれから発展するでしょう」というのに対し、広田先生に「いや、滅びるね」と言わせています。漱石氏はこの時点で1945年8月15日の敗北を予言していたわけではないでしょうが、明治国家体制の危うさを悲しいまでに洞察していたと思われます。
それは、日本は、西洋では100~200年かけて到達した文明開化を30~40年で行い、とくに日露戦争以降には、日本は一等国になったという厚顔さが随所に現れていたからです。もちろん、一生懸命に先進国に追いつくことは大事ですが、この問題意識をもっていることはそれ以上に重要です。
私のヨーロッパ滞在中の出来事で、記憶に残っているエピソードがあります。私がパリ滞在中に子どもを通わせていた現地の私立校のクラスには、日本人以外にも外国人の子ども数名がいました。
ある父兄が「外国人が多く、自分の子どものフランス語の習得に支障が出る」と教師に文句を言いました。そのとき、女性教師だったと記憶していますが、「あなたのお子さんは、この幼少時にフランス以外の世界の存在を体得することができる。このメリットは、多少の語学の障害よりも、はるかに意義がある」ときっぱり答えたのでした。「もし、同じ場面に遭遇した場合、日本の教師はどのように答えることができるだろうか」と考えて、感心したことを覚えています。
(つづく)
【金木 亮憲】
※1:ジャン=ジャック・ルソー。フランスの作家・啓蒙思想家。人民主権に基づく共和制を提唱し、フランス革命に大きな影響をおよぼした。小説家としても、ロマン主義の先駆となる。主著に、『人間不平等起源論』、『新エロイーズ』などがある。^
※2:明治の政治家。1871年に岩倉使節団とともに渡欧してフランスに留学。74年に帰国し東京番町に仏学塾を開く。81年に西園寺公望氏の『東洋自由新聞』の主筆となる。82年に『政理叢談』を創刊し、ルソー氏の『社会契約論』を訳した『民約訳解』などを掲載。天賦人権論を説き、民権運動に大きな影響を与えた。90年に第1回衆議院議員に当選。98年に国民党を結成、1900年には国民同盟会の成立に関わる。著書として、『三酔人経綸問答』『一年有半』、『続一年有半』などがある。^
※3:ササラ(簓)というのは、茶筅(ちゃせん)のように、竹の小筒の節から先を細かく割って束ねた道具のこと。
ヨーロッパの近代の諸科学が、古代ギリシア~中世~ルネサンスという長い共通の文化的伝統から枝分れして生まれた、いわばササラ型であるのに対して、日本のそれは、互いに連係を欠くタコツボ型である。^※4:小説家。フランスの小説家で、自然主義文学の定義者であるエミール・ゾラ氏の影響を受けて『地獄の花』を発表。アメリカ・フランス外遊後、『あめりか物語』『ふらんす物語』や『すみだ川』などを執筆した。耽美派の中心的存在となり、『腕くらべ』などで花柳界の風俗を描いている。文化勲章受章。他に『濹東綺譚』『つゆの後さき』、訳詩集『珊瑚集』、日記『断腸亭日乗』などの作品がある。^
※5:1910年に多数の社会主義者・無政府主義者が、明治天皇の暗殺計画容疑で検挙された事件。大逆罪の名のもとに24名に死刑が宣告され、翌1月、幸徳秋水ら12名が処刑された。^
※6:1894年、フランスで起きたスパイ事件。ユダヤ系のドレフュス大尉がドイツのスパイとして終身刑に処せられた。96年に真犯人が現れたが、軍部がこれを隠匿した。これに対し、小説家エミール・ゾラ氏や知識人・進歩的共和派が弾劾運動を展開、政治的大事件となり、99年、ドレフュス氏は釈放され、1906年に無罪が確定した。 ^
<プロフィール>
井出 亜夫(いで・つぐお)
東京大学経済学部卒、英国サセックス大学経済学修士。(一財)経済産業調査会監事、(一財)地球産業文化研究所理事、(一財)機械振興協会理事、同経済研究所運営委員会委員長、(認定NOI法人)日本水フォーラム評議委員、全国商工会(連)業務評価委員長、(一財)国際経済連携推進センター理事、(一社)フォーカス・ワン代表理事など。
1967年に通産省入省して99年退官。この間、OECD日本政府代表部参事官、中小企業庁小規模企業部長、経済企画庁物価局審議官、日本銀行政策委員、経済企画庁国民生活局長、経済企画審議官(OECD経済政策委員会日本政府代表)の役職などを歴任。退官後は、慶応義塾大学教授同客員教授、日本大学大学院グローバル・ビジネス研究科教授同研究科長、INSEAD日本委員会メンバー、国際中小企業会議代表幹事・シニアアドバイザー、中小企業事業団理事、(公財)全国中小企業取引振興協会会長などを歴任。
著書として、『アジアのエネルギー・環境と経済発展』(共著 慶応大学出版会)、『日中韓FTA』(共著 日本経済評論社)、『世界のなかの日本の役割を考える』(共著 慶応大学出版会)、『井出一太郎回顧録』(共同編集 吉田書店)、『コロナの先の世界』(共著 産経新聞出版社)。関連記事
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