生死の境界線(3)手術は麻酔で何もわからず
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麻酔で何もわからず
手術前の9月22日の夜は正直なところよく眠れず入院ベッドで夜を明かした。初めての手術を控えて熟睡できる者は心を鍛錬した豪傑、と評する人もいるかもしれないが、実際のところ、本質的に無神経なのだろうと思う。途中で読書もしたが、9月23日の朝方になっても一瞬眠気に襲われたのみであった。午前5時過ぎから慌ただしくなり、午前8時前に手術室に呼ばれた。「今晩はこの部屋には戻れません」と言われたが、その言葉の意味はその時点ではわからなかった。
午前8時過ぎに医者から指示を受けて、麻酔室で麻酔処置を受けた。麻酔にかかると、意識を失うのは当然のことだ。筆者にはまったく何もわからなかったが、その後、手術室へ運ばれたのであろう。
手術後は「コダマさん!コダマさん!」と声をかけられて意識を取り戻し、「手術は成功しました」という声が聞こえた。あとから想像するに夕方前の午後4時過ぎだっただろうか。気づくと、狭いベッドの上に点滴などの装置3点が取り付けられていた。横向きに動くのは無理である。
集中治療室(ICU)では、カーテン越しに見える隣の人も同様の時間に手術をしたようだ。「そうか!今夜はこの場所で一晩を過ごすのか」と悟った。手術後であり、緊急状態が予想されるため、きめ細かな看護体制が敷かれている。看護師さんらが30分おきに点検して声をかけてくれる。さすが「緊急患者処置件数、福岡一」の病院である。「今日1日で何人の手術をしたのであろう」とおぼろげに計算をしてみた。
手術後の夜も眠れず
当時の手術の状況をまとめると、左脇の下を背中側から18㎝切って左肺上葉を取り出す手術という程度の理解である。手術後は出血が続くだろうから、まず出血チューブ(管)がベッドに設置されているはずという予測はしていた(この管は9月25日の朝に取り外され、行動の制約が大幅に軽減された)。3点の装置のうち残り2つは、点滴装置(痛み止めの薬)と尿処理装置であったと後ほど知った。とくにこの痛み止めの点滴をしなければ、あまりの痛みでまさしく「七転八倒」のごとく苦しくて転げまわっていたであろう。
9月24日午前0時半過ぎに血圧を測った。「血圧は高い方が199です」という看護師さんの声を聞き、さすが驚愕した。元来は血圧が低い体質で、こんな高い血圧は初めての経験である。数日して医者に「手術後の深夜に血圧が200近くまで上がりましたが、原因は手術でしょうか!」と尋ねると、「いや、手術が原因である可能性は低いと思います。患者さんは自覚していませんが、無意識のうちに極度の緊張をしているのですよ」という説明があり、筆者は「なるほど」と納得した。
意識を取り戻した9月23日午後4時から、翌朝8時に入院室に戻るまでの16時間はあまりにも長く、実感としては3晩を病院で過ごしたような思いである。20分ほど居眠りをすると身体の姿勢が苦しくなり、身体を少し横向きに動かす。この時は、出血チューブ(管)に影響を与えないように気を配るが、これでは眠れるはずがない。20分おきの微睡をどれほど続けたかわからない。病院で3晩を過ごしたような気持ちで入院ベッドに戻ったが、その後の処置に大童だった。
まずは、尿の放出が24時間止められていたため、放出処置の痛さには一瞬の悲鳴を上げた。その後も3回ほどの排尿は非常に痛かった。病院の14階の部屋からはアクロス福岡、福岡市役所が一望でき、当社のあるフジランドビルもわずかに望める。日常生活から隔離されて、生きる原点について考えさせられた。病院の食事を無理して食べた9月24日の1日のことも覚えている。この夜は多少気分よく眠れたことが救いであった。
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