NTTドコモはなぜKDDI(au)とソフトバンクに敗れたのか?~ガチンコの「競争」未経験(前)
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「すでにドコモは3番手」。NTTの澤田純社長が、NTTドコモの吉澤和弘社長に引導を渡したこの言葉が、ドコモ凋落を端的に表している。ドコモはなぜ後発のKDDI(au)とソフトバンクに敗れたのか。理由ははっきりしており、日本電信電話公社以来、NTTグループは、「乳母日傘」で育てられてきたため、一度も「競争」をやったことがなかったからだ。これでは、ガチンコの「競争」に勝てるわけがない。
NTTグループは、「競争」しないまま巨大化した
「競争」とは、企業が財やサービスを供給する市場に自由に参入し、消費者を獲得するため、価格や品質面で他の企業と競り合うことをいう。NTTグループはこのような競争をしたことがなかった。
家電業界のYKK戦争は、激烈の競争として有名である。北関東に営業基盤を置く(当時は)中堅家電販売チェーンのヤマダ電機(群馬県前橋市)、コジマ(栃木県宇都宮市)、カトーデンキ販売(現・ケーズホールディングス、茨城県水戸市)の激安価格の叩き合いは、3社の頭文字をとつてYKK戦争と呼ばれた。1994年夏のことだ。
ヤマダ電機は「価格革命の旗手」を標榜し、「当店の店頭価格より安値をつけたほか店のチラシを持参下されば、その価格よりさらに3%値引きします」という前代未聞の作戦に打って出た。
これにより安売り競争はエスカレート。パソコンが1台1円、テレビが1台5円という非常識といっていいほどの激安価格が飛び出し、全国家庭電器製品取引協議会からクレームが付いたほどだ。YKK戦争のサバイバルレースを勝ち抜いたヤマダは、低価格を武器に全国展開に踏み出し、全国一の家電量販店へ駆け上がっていった。
これが競争である。NTTグループは、このような消費者を獲得するための競り合いを戦った経験がなかった。
日本製携帯電話が「ガラケー」と呼ばれる理由
「乳母日傘(おんばひがさ)」とは、乳母に抱かれ、外出には日傘をさしかけられるなどして、大事に守り育てられることをいう。NTTグループは、日本電信電話公社の頃から、正に「乳母日傘」で育てられてきた企業だ。
ここでいう「乳母」とは総務省(当時は郵政省)である。総務省は外資の進出を阻止するため、放送・通信に関わるジャンルで、国際標準とは異なる独自の規格を定めた。その端緒が日本製携帯電話である。携帯電話は日本独自の通信方式が採用された。携帯電話機メーカーは自社の端末機に次々と新たな機能を搭載していった。その技術やサービスは世界最先端と評された。
だが、欧州のGMS方式が標準規格になっている世界の携帯電話市場はノキア(フィンランド)やモトローラ(米国)などグローバル戦略にたけた欧米の企業に制覇されてしまった。自虐的な意味を込めて日本製携帯電話は「ガラケー(ガラパゴスケータイ)」と呼ばれるようになる。大陸から隔絶された南米のガラパゴス諸島で、生物が独自に進化したように、日本の携帯電話は世界標準とは異なるかたちで独自の発展を遂げたことをいう。
日本の携帯電話は、高度で多機能であるが特殊化されているため、世界市場ではまったく売れなかった。同様にNHKのハイビジョン放送、地上デジタル放送に組み込まれた独自のプログラム言語によるデータ通信サービス。カーナビゲーションシステムや非接触型ICカードなどもガラパゴス化している。
総務省が、電話・通信分野を外資系に支配されないように、世界基準とは異なる規格を定めたことが、ガラパゴス化を招いた。NTTグループは、「乳母日傘」で育てられ、巨大化していった。しかし、一歩海外に出るとまったく通用せず、惨敗を繰り返した。
(つづく)
【森村 和男】
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