2024年12月25日( 水 )

生死の境界線(6)定期検診と生への執着の持続こそが境目

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やはり定期検診の必要あり

 各自が「生死の分岐点」を超えないためには、定期検診を積み重ねることがやはり大切であろう。少なくとも50歳前後から定期検診を始めるべきであろう。癌は早期発見であれば、「生死の分岐点」を超えずに「生」に踏みとどまることができるはずだ。癌の闘病の末に今年亡くなった尊敬する経営者Dとの永遠の別れは、もっとも悔やむ別れであった。Dは癌が判明してから1年後にあえなくこの世から立ち去った。いつも打つ手には抜かりがなく、慎重な方であった。

 Dの後を引き継いだ新社長は「Dは自分の健康に関することだけは無頓着でした。定期検診を怠っていた」と悔やむ。筆者も「早期に癌を発見していれば、豊かな人脈をもち、資産もあるDならば、最先端の医療も含めて癌に対するあらゆる手立てを駆使できたはずだ。やはり癌の発見が後手になっていたのか!」と悔しくも納得した。この会社は新社長の下に社内組織もしっかり構築されており、業績に対する懸念はない。

最終的には、生への執着を持続すること

 10年前に複数の肝臓癌を患っていることが判明し、生死をさまよったEを紹介しよう。Eの肝臓癌の手術は複雑であった。肝臓の一部を摘出し、さらに抗がん剤とレーザー治療を駆使した。当時、Eの体重は50kgを割り、45kgに迫るほどで、「この先危ういな」と覚悟したという。8カ月におよんだ肝癌の治療に成功したが、その1年半後にリンパ節と肺へのさらなる転移が見つかった。さすが気丈なEも「なぜ転移したのだろう?神は私をいたぶるのか!」と嘆き声を筆者に浴びせた。

 Eの肝臓には4カ所の、さらにリンパ節にも癌細胞がある。肝臓の一部を摘出し、化学療法、薬物治療などのあらゆる治療を受けた。Eは「妻から『この時点でもう駄目であろうとあきらめかけていた』と後になって告白を受けた」と言った。正に生死の境界線を行ったり来たりしていたのである。看護してくれていた夫人があきらめてかけているなか、E自身が状況の悪化をもっとも把握していたはずだ。

 今から7年前のことだが、この癌の再発の治療には半年もかかった。精神力がなければ、とっくの昔に癌に負けていたであろう。現在のEの風貌は健康そのもので、体型も丸みを帯びてきた。体重も60kg台に戻っているのであろう。Eは「癌の再発、転移を確認する期間は5年と言われていますが、治療からもう7年も経過しています。今でも油断はしていませんが、気分は楽です」と筆者に本心を打ち明けてくれた。

 筆者が「癌の転移を防止できた要因は何ですか?」と率直に質問すると、Eの回答はシンプルなものであった。「まずは信頼できる主治医とのめぐり合いです。私の病気によくぞとことん向き合ってくれたものと思います。このような主治医は稀有です。加えて、職場の支援があったからこそ生かされたのだと恩義を感じています。前の職場で癌を患っていたら亡くなっていたでしょう」。

 いやいやEさん、まだほかの要因もある!あなた自身の心のもちようだ。あなたの生に対する執着には、筆者も兜を脱ぐ思いだ。また、人の10倍ほど気丈で、強い精神力をもっておられる。冷静沈着で情報収集を怠らない性格が「生死の境界線」から「生」の方へ引っ張り出したと考えている。

 今後、癌にご縁があるかもしれない読者の心構えとして、Eの癌の闘病のエピソードが参考になれば幸いである。

(了)

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