2024年12月22日( 日 )

コロナ禍も不安なし、不測の事態に対処できるよう努めてきた10年

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(株)エフ・ティ・エス

突然の代替わりで始まった手探りの舵取り そこからみえてきたのは父の葛藤

JR吉塚駅からすぐの、利便性に優れる場所に構えられた本社屋
JR吉塚駅からすぐの、利便性に優れる場所に構えられた本社屋

 (株)エフ・ティ・エスは、初代社長・福澤利弘氏が2000年に始めた、塗料・防水材料を専門的に取り扱う卸販売業だ。井上喜(株)から独立し、福岡の地に起業した。そして現社長・福澤裕士氏が事業を引き継いだのは、今から10年前の10年7月。社長就任時は32歳の若さ。その年齢での世代交代は先代が病に倒れたことが理由だったが、58歳で亡くなったと聞けばいかに急なことだったかがわかる。

 そのころのことを福澤氏はこう振り返る。「とにかくやるしかない。そう考えてみたものの、経営のことはまったくわかりません。営業の現場経験はそれなりに積んでいましたが、会社の舵取りとなるとまったく違う。まさに手探り状態でした」。

 幸いだったのは先代が几帳面な人で、経営に関するあらゆる文書を整理整頓された状態で遺してくれていたことだ。わからないなりに少しずつ読み解いていく福澤氏。数字からみえてきたのは経営のノウハウ、そして父の経営者としての葛藤だったという。

 「末端の社員だったころから、父の経営者としての姿を見てきたつもりでしたが、残された資料を読み解いていくと、見えていた姿はほんの一部だったと気づかされました。

 仕事量の多さは何となく理解していましたが、何よりも驚いたのは大きな経営判断の数々。大きな決断を何を根拠に下していたのか。1人で悩み考え抜いた決断だったんでしょうが、その根底には自分が全責任を負う…会社に命を懸ける覚悟が感じられました。正直言って、今の私が同じ状況で同じさまに決断が下せるかどうか。引き継ぎの時間もなく、父が私に何かを語ることはありませんでしたが、会社を率いるとはどういうことか教わった気がします」。

 いち社員ではわからない、社内全体を見渡せる立場になって初めてわかるトップの心情である。

 「昨年は創業20周年で社員の家族も同伴でハワイ旅行に行ってきました。創業10周年もハワイでしたが、そのときは社員のみでした。父も家族を同伴させたいと言ってましたが、その費用を出す余力はなかった。20周年は社長としてとても誇らしい思いができたのですが、タイミングが良かっただけ。父のころはそれをやりたくてもできなかった」。同じ立場になって父の苦悩を本当の意味で理解したわけだが、その父はもういない。起業して亡くなるまで10年。福澤氏が社長になってやはり10年。同じ時の流れが互いを結びつけたのだろう。今、福澤氏は父をもっとも尊敬する人物だという。

コロナで今年は中止となったが、例年海外へ(昨年は20周年記念旅行でハワイへ)
コロナで今年は中止となったが、例年海外へ(昨年は20周年記念旅行でハワイへ)

わずか36名で、600社を超える顧客の信頼を変わらずに維持する営業力

 もう1つ、父親が遺したかけがえのない財産がある。それは福澤氏が信頼してやまない社員たちの存在だ。「順風満帆とまでは言いませんが、業績を維持し続けられているのは彼らの存在があるからです。創業期を知っている先輩社員から新しい社員へと、ノウハウが脈々と引き継がれて今日に至っています。うちは彼らの力で成り立っている会社です」。

 関東、関西から次々と同業他社、しかも大手の企業が進出してくるなか、わずか36名の社員で600社を超える顧客の信頼を維持していくことは相当に困難なことだ。それを可能にしているのは、顧客と社員たちとの強い結びつき、そして長い年月をかけて蓄積されてきたノウハウや知恵があるからにほかならない。

 福澤氏の趣味はラグビーだ。ラグビーと経営を重ね合わせることはあるかという質問を投げかけてみると、「それはないですね。でも、私が大切にしている調和の精神には近いものがあるかもしれません。チームでプレイすることで1人の力が2倍にも3倍にもなる。エフ・ティ・エスの営業スタイルも常にそうありたいと思っています」と、飾らない答えが返ってきた。ふんだんな経験と情報、知恵をもつベテラン、そして元気と吸収力にあふれる若手たち。彼らが強固なスクラムを組むことでその力は最大限に発揮される。

 「現場は千差万別です。教科書通りに済むなら苦労はないのですが、実際はその場に応じたやり方、工夫が求められます。そうした現場をいくつも身近に見聞きし、ときには顧客とともに悩んできたのが当社の営業です。彼らが顧客に頼られて力を発揮する場面は、至るところにあります」。現在、同社の営業所は福岡、鳥栖、宮崎、鹿児島だが、この4拠点で九州一円、そして山口までをカバーする。

父が夢描いた未来に自身の夢が重なりさらに大きく広がっていく10年になる

 福澤氏が経営を引き継いだ直後、11年の春に発生したのが東日本大震災だ。今も人々の記憶に鮮明に残る出来事だが、社長になって間もない福澤氏にとっても大変な衝撃だったという。そしてこの大災害を乗り越えるために経験したことが、今も考え方のベースになっているという。常に危機感をもち、どんな事態が起きてもそのリスクに耐えられる会社づくり。このことを絶えず意識してきたと語る福澤氏。だから今回のコロナ禍についても不安はないという。いや、こういうときのためにこれまで努力してきたと言って過言ではないと胸を張る。

 「経営トップとして私が第一に考えるのは、全従業員、その家族、そのほかすべてのステークホルダーに迷惑をかけないということです。とくに社員とその家族の生活の安心は絶対に守っていかなければならない。当社に関わる人たちが不安を感じることなく、安定した生活ができることが、私に与えられた何よりも優先すべきミッションだと考えています」。

 急激な成長は求めない。たとえ地味であっても永続的な発展が何よりだと語る福澤氏。昨年は完全週休2日制の労働環境を実現した。先代がなし得なかったさまざまなことを少しずつでも自分の手でかたちにしていくことが、いちばんの親孝行と考えているのかもしれない。

 父が夢描いただろう未来に福澤氏自身の夢が重なり、これからの10年は、さらに大きく広がっていくだろう。


<COMPANY INFORMATION>
代 表:福澤 裕士
所在地:福岡市博多区吉塚4-6-17
設 立:2000年3月
資本金:1,800万円
TEL: 092-624-2938
URL:http://www.f-ts.co.jp


福澤 裕士 氏<プロフィール>
福澤 裕士
(ふくざわ  ゆうじ)
1978年4月、宮崎に生まれる。九州産業大学を卒業後、2001年に(株)エフ・ティ・エスに入社する。営業部門で約10年を過ごしたところで、父・福澤利弘氏の跡を継ぎ同社代表取締役に就任。趣味は少年期より親しんだラグビー、そして仕事だと語る42歳。

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