2024年12月22日( 日 )

福岡感染症診療の砦の1つとして新型コロナと対峙した医療人の誇りと志

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九州大学病院 病院長 赤司 浩一 氏

潜んで拡大し、ときに重症化を招く敵に 人類の英知を結集して対抗を

 ――現時点で新型コロナウイルス(COVID‒19)感染症を、どのように見ているか、聞かせてください。

九州大学病院 病院長 赤司 浩一 氏

 赤司 人によって示す症状の程度があまりにも多彩であり、重症化の予測ができません。さらに、感染症の経過が極めて長いため、無症状感染者から水平伝播するという点で想定外の感染症でした。

 インフルエンザと比較して、重症化する人や死者が少ない点を理由に、「それほど怖い病気ではない」という主張があります。たしかに若く、健康な人にとっては「特効薬ができる前のインフルエンザのようなもの」という見方に一定の妥当性はあるでしょう。

 ただし、とくに医療機関にとっては今なお大きなリスクであり、プレッシャーであり続けています。コロナは呼吸器感染症に分類されますが、たとえば肺炎になったときに、突然倒れたり、意識を失ったりといったように悪化のスピードがすさまじく早いケースが多いのです。これはインフルエンザではあまり見られないものです。基礎疾患がある人や化学療法を受けている人はとくに注意が必要で、だから病院は決して警戒を緩めることはできません。

 大きな視点で見れば、潜んで拡大する能力をもちながら、ときに致死的な毒性を示すという特徴において世界のグローバル化に立ちはだかる大災害だともいえます。抗原検出、PCR法の簡便化といった診断面での迅速化、新しい治療薬やワクチンの開発など、科学力、創造力、人間力でこれに対抗していくことが重要だと考えています。

「朝の来ない夜はない」 励まし合って乗り越えた戦時のような日々

 ――新型コロナウイルスが指定感染症に定められたのが2月1日でした。九州大学病院はどのような活動に取り組んだのですか。

 赤司 福岡では2月20日に第一症例目が確認されました。PCR検査の陽性者は基本対策に則って、感染症指定医療機関のみで治療されることになります。ところが、3月に入ると感染者数が爆発的に増加し、指定医療機関の感染病床では足りなくなったので、県からの要請を受けるかたちで九州大学病院でも陽性者を受け入れることになりました。

 当初は体外式膜型人工肺(ECMO)による治療といった「厳密な全身管理が必要な重症例」のみを感染者病棟や集中治療室で診療していましたが、4月に入ってからの切迫した状況を受けて、病院地区イノベーションセンターの治験病棟13床、さらにウエストウイング2Fの精神科病棟15床を、新たにCOVID-19専用病棟に改修して感染者を受け入れることにしました。このときは、決定から1週間以内で開棟が実現しました。いずれの病棟も診療棟から物理的に離れていたために適切なゾーニングが可能だったのは幸いでした。

 さらに、外来や急を要しない患者の受け入れを抑制し、専門病棟には感染症内科、総合診療科、救命救急センターなどに常駐していた医師、看護師、検査技師で構成する専門チームを配置しました。

 私自身のことをいえば、数カ月間は毎日が異例の判断の連続でした。九州大学病院では32症例を受け入れた結果、一例の死亡者もなく、全員に退院してもらうことができました。これは、九州大学病院本来の役割である高難度手術や移植治療など先進医療に関して通常の診療数を維持しながらのことでした。

 こうして話すと簡単なことのように聞こえるかもしれませんが、新型コロナウイルスとの闘いは極めて厳しいものでした。患者を受け入れた当初は消毒用アルコールもマスクも、防護服も十分には手に入らない。PCR検査キットも限定的だったため、疑わしくても調べられない、という状況もありました。あるとき、私はスタッフに「朝の来ない夜はない」と声をかけました。ありふれた表現かもしれません。しかしその言葉に目に涙を浮かべるスタッフがいたくらい、現場は逼迫し、緊張し、そして業務に追われていたのです。

 医師や看護師をはじめ、すべての職員たちはストレスとプレッシャーのなかで、自らの役割を見事にはたしてくれました。私は彼ら、彼女らに「ノブレス・オブリージュ」に通じる医療人としての誇りと志を見ました。直訳すれば、「高貴なるものの義務」。社会的地位のある者は有事の際、最前線に立って命懸けでことにあたる義務がある、という意味でしょう。誰もが勇気と信念で自らの責務を全うする姿に、私は感動を覚えましたし、リスクを恐れず、真摯に医療と向き合う姿勢こそが、九州大学病院の最大の財産であると確信したのです。

新型感染症の拡大は「また来る」 ゆとりある医療体制の構築が課題

 ――すでに世界は「ニューノーマル」となったと言われますが、医療業界はどのような影響を受け、どのように変容していくのでしょうか。

コロナ対策会議の様子

 赤司 今は医療業界全体がこれまでにないほどのダメージを受けています。新型コロナウイルスの陽性者を受け入れるなど直接の影響を受けた医療機関はもちろんですが、多くの病院が「受診控え」で来院数が減少し、厳しい経営を迫られています。症状の進行度や処置の難易度が上がるにつれて、それに応じた適切な病院で治療を施すのが医療の理想です。地域の病院やクリニックで受診や検査をする人が減れば、それはいずれ高度な医療を提供する病院にも影響し、私たちのような大学病院の経営を圧迫することにもなります。

 それは国民にとって「適切な治療を受ける機会を失う」ということであり、症状の悪化を招くケースが増えていくと考えられます。以前のように体調に違和感を覚えたらすぐ病院へ行ける状態に戻すことが重要ですが、人々の「感染を恐れて外出を控える心理」は簡単に変わらないでしょう。

 また、今回のコロナ禍によって、「公立・公的病院の再編統合」について考え直す必要が出てきたと考えています。現在の政策は、必要に応じて機能分化やダウンサイジングも含めた再編・統合を促すこと、つまり「無駄を省く」という方針で進んでいます。そのこと自体は間違いとはいえませんし、平時ならばいいのですが、今回のような感染症の拡大が起こったときに、ある程度の余裕がなければ地域の医療が機能しなくなってしまうことが明らかになりました。

 緊急事態に陥ったときでもしっかりと対処できるような、ゆとりのある医療体制をつくっていくことも今後の課題です。というのも、今回のような新型感染症の拡大は「また来る」からです。グローバリゼーションの進行によってリスクは高まり続けると考えるほうが妥当でしょう。

 だとすれば、現状の医療機関には、厳しい状況のなかでも何とか踏ん張ってもらわなければならない。一度なくしてしまったものは、そう簡単には取り戻せません。平時の保険システムでは歪みが出ている今、これはあくまで個人的な考えですが、1つの方策として、1点=10円である保険点数の額を、時限的に必要なところまで引き上げる政策も選択肢に挙げてはどうだろうかと思っています。これによって、本来は淘汰されるべきではない医療機関を守ることができると考えるからです。

献身的な医療人の姿への尊敬と感謝 これからの医療人には使命感と誇りを

 ――医療業界が危機的な状況にあるなかで、これからの人材が不足することもあるでしょうか?

 赤司 その点は心配していません。今回のコロナ禍によって、多くの人は自分の人生を深く考えたのではないでしょうか。若者はとくに「生きるとは何か」について自問自答した人が多かっただろうと思います。

 他方、メディアでは新型コロナウイルスに関する情報が連日、報道され、また医療や医療機関について語られない日はありませんでした。これによって、一般の方にとって、医療はとても身近なものになったと思います。また、医療人への感謝の高まりも注目されました。自らの危険を顧みず、患者の命を守るために献身的な努力を続ける医療人に対する、人々が抱いた自然な尊敬と感謝の気持ちだったのだと思います。

 実は人が医療の道を志すきっかけは、個人的なエピソードによるものが意外と多いのです。「大切な人を白血病で亡くしたから」「知り合いをがんで亡くしたから」という経験から、そうした人たちを救いたいと、医療人という将来像を描くケースは珍しくありません。コロナ禍で活躍した医療人の姿を見て、「自分もあんなふうに医療の現場で役に立ちたい」と思った若者は決して少なくないと思います。

 もちろん、知識や技術は何より大切です。「治せる力」を有してこそのプロフェッショナルです。そのうえで、そこに「患者を治したいという純粋な思い」と、「社会全体が危機に瀕したときに立ち向かう義務感」が加われば強い。新型コロナウイルスは私に、医療人としてもっとも大切なことを再認識させてくれましたし、多くの心ある若者を刺激したと思います。

 はたすべき使命と誇りをもち、目の前のことに誠実に向き合う。このような心構えこそが、医療人としての欠かすことのできない素質であることは、これまでも、そしてこれからも変わらないと思います。


<INFORMATION>
九州大学病院

病院長:赤司 浩一
所在地:福岡市東区馬出3-1-1
設 立:1867年
TEL:092-641-1151
URL:https://www.hosp.kyushu-u.ac.jp


<プロフィール>
赤司 浩一 
あかし・こういち
 九州大学病院・病院長、九州大学医学部・主任教授、病態修復内科(第一内科)教授。1985年九州大学医学部卒業後、九州大学医学部第一内科(現・病態修復内科)、九州大学病院輸血部、原三信病院で骨髄移植を主とする臨床に従事。94年スタンフォード大学発生生物・病理学への留学を経て、2000年よりハーバード大学ダナファーバー癌研究所腫瘍免疫学准教授として研究室を主宰したのち、04年九州大学病院・遺伝子細胞療法部教授に着任。09年より九州大学医学研究院病態修復内科教授。

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