老化は確実に進む(1)覚悟できるか!
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ボケとの戦い
A氏は昭和12年生まれで、高校の先輩に当たる。筆者の10歳年上、長兄2年先輩にあたる。九州大学を卒業し、タイヤメーカーに長年勤めた。サラリーマン時代で最も悔やまれることは、30歳から43歳までの重要な時期に宮崎県に赴任し続けたことである。宮崎県日向市細島に工場を建設するという触れ込みで、地元対策の役割を命じられたのだが、工場建設は中止となった。結果として、「無意味な10年以上を過ごした」と悔やむのである。大企業では同期のライバルが無数におり、運・不運が顕著になる。A氏は「当時はブリジストンを追い抜くと信じていたので就職先に選んだのだが」と回顧する。
家族関係は良好であった。宮崎のある自治体の首長の娘と結婚。2人の子どもに恵まれた。宮崎勤務が長かったこともあり、余暇の時間が長かった。囲碁に凝り、キャンピングカーで各地を回り、山歩き、アウトドアスポーツに夢中となった。妻と子どもたちを連れて、全国の大半を回ったという。ところが家族に不幸が襲った。妻が癌で亡くなったのである
再婚5年後、妻に認知症が
A氏は60歳の定年を前にして退社した。それから社会福祉士の資格を取り、高齢者の支援にのり出した。元々社会貢献に尽力するつもりでいたのだ。A氏が元気な秘訣なこのような目的をもった活動にあるようだ。一人暮らしは味気なく、65歳のときに再婚した。再婚相手は10歳年下で55歳、同様に再婚で1人娘がいた。後妻は和服を縫う技能を身に着けており、この技能で1人娘を育てあげた。結婚して5年間は楽しい新婚生活であった。アウトドアスポーツにいそしんだほか、カラオケに興じた。妻はカラオケで百点満点を3回も叩き出すほどであったという。
ところが妻は60歳を境にしておかしくなってきた。裁縫の段取りがわからなくなってきたのである。そうなると補修責任が発生する。高額な金額にもなるのでこの仕事から足を洗った。61歳の時であった。さらに病状は進む。A氏は妻が料理の段取りがわからなくなり立ち往生する現場をたびたび目撃した。A氏は「これはおかしい」と感じ、手器用であったことから自分が料理をして妻に食べさせ続けた。
気分晴らしに妻を外に連れ出し、山歩きに行く。すると、彼女とはぐれてしまう回数が増えだした。連絡が取れず、行方不明にもなり、捜索願を頻繁に出すようになる。そうなると外出も止めた。6年ほどごまかしながら共同生活をしていたが、ついに耐えられなくなり介護施設に入所させた。彼女が69歳のときのことである。妻の連れ子からは「貴方の母への扱いが悪いからこうなったのだ」と頻繁に叱責を受けたという。
家族を認識できなくなった
A氏は妻の入所後、毎週面会に行っていたが、コロナの影響で月1回となった。妻にはもうA氏が「自分の夫」であるという認識はない。もちろん、娘・孫たちのことも認識できない。何もわからないということは、苛立ち・怒りを感じることがないということだ。健常なときは眉間に皺を寄せていたが、いまは皆無で、穏やかな顔つきになっている。現在でも食欲はあり足腰の衰えもない。A氏の見立てでは「まだ5年間は生きるであろう」ということになる。
最後にA先輩の今後の生活の試算である。「90歳まであと5年、生きられればありがたい。いや、生きるつもりだ。それまでに金銭面で蓄積したものはゼロになるであろう。そこでさっぱりとこの世にオサラバする」と語る。現在の実質的な収入は年金が手取り18万円、妻の介護費用として毎月14万円支出しており、手元に残るのが4万円では到底足りない。そして、貯えを食いつぶしき、90歳になるころには底がつくということだ。清々しく、マイペースの終活を送っている。
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