東京五輪・パラリンピックを仕切る電通は、最大の黒幕企業だ!(後)
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旧エンブレムの選考を仕切った2人の電通マン
東京五輪・パラリンピックの大会エンブレムが白紙撤回となった問題で、組織委員会は2015年10月2日、旧エンブレムの作成を担当した槙英俊マーケティング局長と、企画財務局クリエイティブディレクターの高崎卓馬氏の退任を発表した。2人ともマーケティング専任代理店の電通出身で、組織委は電通からの出向を解除、事実上の更迭である。
この2人の電通マンは、撤回された佐野研二郎氏のエンブレム選出に、深く関わっていた。選考経過が不透明な密室審査で「佐野氏ありきのデキレース」と批判された。槙氏は、スポーツ大会のマーケティングのプロだ。リレハンメル冬季オリンピック(94年)、アトランタオリンピック(96年)、長野冬季オリンピック(98年)、FIFAW杯フランス(98年)と日韓(02年)大会など、数々のスポーツ大会を担当してきた。
マーケティングとは、平たく言えば集金力。その集金力を買われて、電通スポーツ局専任局次長から、組織委員のマーケティング局長に出向していた。
裏方を送り込み、組織を舞台裏から仕切るのが、“黒幕企業”電通のお家芸だ。「裏金」疑惑、エンブレムの白紙撤回は、「上手の手から水が漏れた」わけだ。民放ラジオを立ち上げた「広告の鬼」
電通が一連の疑惑の中心にいることはわかっていても、マスコミが電通を追求することはない。広告収入に依存するマスコミにとって、電通は最大のタブーだ。電通には、クライアントに都合の悪い報道をコントロールする裏の顔がある。黒幕企業たるゆえんだ。
通信会社の営業部門にすぎなかった広告代理店を、経済界を黒衣(くろご)として仕切る黒幕企業に大変身させたのは、吉田秀雄氏である。
1947年、GHQ(連合国軍総司令部)による公職追放で、通信畑出身の社長が辞任。吉田氏が43歳の若さで電通社長に就任した。
吉田氏は、政財界に人脈を広げる。公職追放された政治家、財界人、新聞人を集め、銀座の電通ビルで「旧友会」という名の食事会を催した。食糧難なのに「電通に行けばビフテキが食べられる」との噂が立ったほどであったという。吉田氏の最大の仕事は、民放ラジオ放送の立ち上げ。胎動6年。吉田氏がお膳立てした民放ラジオは51年9月、名古屋市の中部日本放送(株)を皮切りに放送を開始した。吉田氏は社員を民放各社に送り込み、出資にも応じた。
先行投資は、テレビ時代に花開いた。「時間を売る」電波媒体を握った電通は、広告業界の首位を不動なものにした。民放の立ち上げにメドをつけた吉田氏は、『鬼十則』を執筆し、社員に配布した。「仕事は自ラ創ルベキデ、与エラルベキデハナイ」で始まる十則は、高度成長時代、多くの企業の朝礼で唱和された。
さらに政界にウイングを伸ばした。電通は、政権党である自民党の選挙向けの政党PRを一手に引き受けた。電通は黒幕企業として、政財界に隠然たる力を持つまでになったのである。
グローバルプレーヤーに変身中
今、電通は、国内の黒幕企業からグローバルプレーヤーに大変身中だ。転機は2013年、英広告大手のイージス(現・電通イージス・ネットワーク)を4,000億円で買収したことだ。
電通は広告業界世界5位。同8位のイージスを傘下に収めることで、世界80カ国の営業拠点と、世界の広告主企業上位100社のうち71社と取引関係を持つことになった。その後も1,000億円を投じて海外広告会社のM&Aを進め、15年12月期末までの案件は76件に上る。12年度では15%であった海外事業の構成比は、15年度には54%に達し、140カ国以上に4万7,000名を擁するまでになった。数字上は、グローバルプレーヤーに大変身した。
だが、海外M&Aに突き進んだ日本企業の失敗例は、あまりに多い。電通は、米オムニコムグループや英WPPグループなどの巨大広告会社に渡り合っていけるのか。
国内の黒幕企業という“お山の大将”から、グローバルプレーヤーへの脱皮は、容易ではないだろう。(了)
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