日本経済転落に拍車をかけた安倍経済政策(前)
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政治経済学者 植草 一秀 氏
日本は世界有数の格差大国
バブル崩壊から32年が経過しようとしている。日本の凋落が止まらない。1990年、日本の1人あたりGDPは世界第2位の地位に躍り出た。しかし2020年、同ランキングでは世界第23位にまで転落。失われた10年は失われた20年、30年に変化した。かつての一億総中流は消滅し、日本は世界有数の格差大国に変質した。働く国民の5人に1人が低所得に追い込まれ、労働者の半数以上が年収400万円以下の水準に落とし込まれている。
日本経済を凋落させた原因がどこにあるのか。そして、この凋落に歯止めをかける方策はあるのか。コロナ騒動は日本の政策対応力欠落を鮮明に浮かび上がらせた。日本の凋落は日本のかじ取りを司る政治権力と官僚機構の劣化の反映。同時に、そのシステムを生み出している主権者である国民の責任を見落とすわけにはいかない。問題の所在、解決の方策、今後の展望を考察したい。
日本経済の凋落
日本経済の長期停滞が続いている。経済活動の拡大スピードを示す最重要経済指標とされるのが実質GDP成長率。日本の成長率推移を見てみよう。年平均成長率は1960年代:10.5%、1970年代:5.2%、1980年代:4.9%、1990年代:1.5%、2000年代:0.6%で推移してきた。1960年代の10%成長の時代が二次の石油危機で5%成長に下方屈折したのち、1990年代には1.5%成長、2000年代最初の10年は0.5%成長にまで低下した。
GDPが1年に10%拡大すると10年では2.6倍になる。生産は人々の所得を意味する。1960年に登場した池田勇人内閣は「所得倍増計画」を掲げたが、10%成長が維持されれば所得水準は8年で倍増する。高度経済成長で所得倍増計画は見事に達成された。
しかし、1%成長では景色がまったく変わる。10年間で経済規模は1.1倍にしかならない。2000年代の0.5%成長では、10年間で経済規模は1.05倍にしかならない。バブル崩壊後、この超低迷経済が持続してきた。
2010年以降は若干状況が異なる。2009年10-12月期から2012年10-12月期にかけての民主党政権時代は成長率平均値が1.7%に上昇(前期比年率成長率の単純平均値)。ところが、第2次安倍内閣発足後の2013年1-3月期から2021年1-3月期の成長率平均値は0.6%に反落した。2000年代と同等水準に逆戻りした。
民主党政権時代の1.7%成長でも経済が好調とはいえなかった。東日本大震災、福島原発事故が発生。「暗がり経済」だった。ところが、第2次安倍内閣発足後に成長率は一段と低下。「真っ暗闇経済」に移行した。民主党政権時代の成績がギリギリの「可」とすれば、第2次安倍内閣発足後は完全に「不可」。国民生活が疲弊するのは当然の帰結だ。
2012年12月に発足した第2次安倍内閣で安倍晋三氏は日本経済再生を目標に掲げた。新しい経済政策の取り組みとして「アベノミクス」の看板を掲げた。三本柱は金融政策、財政政策、構造政策。まったく目新しくなかった。金融政策ではインフレ率2%達成が公約とされた。しかし、実現しなかった。
森友・加計・桜を見る会疑惑で窮地に陥り、コロナ対応の失策が重なり退陣に追い込まれた安倍晋三氏だったが、2019年11月に「ポストコロナの経済政策を考える議員連盟」会長に就任した。菅内閣後の再々登板の思惑が込められているとの解説もあるが、冗談はやめてもらいたい。第2次安倍内閣発足後の日本経済は最低最悪なものだったからだ。
(つづく)
<プロフィール>
植草 一秀(うえくさ・かずひで)
1960年、東京都生まれ。東京大学経済学部卒。大蔵事務官、京都大学助教授、米スタンフォード大学フーバー研究所客員フェロー、野村総合研究所主席エコノミスト、早稲田大学大学院教授などを経て、現在、スリーネーションズリサーチ(株)=TRI代表取締役。金融市場の最前線でエコノミストとして活躍後、金融論・経済政策論および政治経済学の研究に移行。現在は会員制のTRIレポート『金利・為替・株価特報』を発行し、内外政治経済金融市場分析を提示。予測精度の高さで高い評価を得ている。また、政治ブログおよびメルマガ「植草一秀の『知られざる真実』」で多数の読者を獲得している。関連記事
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