福岡から世界で活躍する人材を輩出 ビジネスのプレーヤーに必要なものとは?(後)
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九州大学大学院経済学研究院
産業マネジメント専攻
(九州大学ビジネス・スクール)
教授 高田 仁 氏九州大学大学院経済学研究院産業マネジメント専攻(以下、QBS)はビジネスパーソンの育成に従事しており、今年度、第20期生が入学した。大手企業や地場中小企業で働きながら、夜間や週末の時間を使い、学びを深める学生たち。そのなかには講座を通して学んだことを生かし、起業に至る修了生もいる。福岡のスタートアップシーンで活躍する経営者の経歴で光るQBSの文字。同校ではどのような教育を行っているのか。また、福岡のスタートアップ業界の現状をどのように捉えているのか。同校で教授を務める高田仁氏に話をうかがった。
(聞き手:(株)データ・マックス 専務取締役 緒方 克美)
福岡のスタートアップ市場が一大勢力となるためには
──日本は海外に比べてユニコーン企業の割合が小さいと言われます。これは何が原因になっていると思われますか。
高田 これについては2つの原因があると思います。1つ目は「事業機会を見つけることが難しい」ということです。日本で成長したスタートアップは、既存企業がまったく参入していなかった「ホワイトエリア」で新しいビジネスを生み出してきています。たとえば、経団連に代表される伝統的な大企業が大きな力をもってビジネスをしているところでスタートアップが戦おうとしても、そもそも不利なのです。既存の事業ではビジネスの展開が見えているため、先行して事業を行っている企業に有利です。また、大企業によって既存のバリューチェーンがつくり込まれており、新規参入者の入り込む余地が少ないということもあります。
ただ、既存の事業も急激な事業環境の変化に晒されており、従来の事業内容のまま存続することが難しくなっています。大企業がもっとスタートアップと組んで新しいことを打ち出していけたらよいのですが、大企業とスタートアップの間のビジネスの仕方や物事の考え方が大きく異なるなどハードルがあり、それを越えるのはなかなか大変です。
もう1つの原因は「人材」です。スタートアップを興す潜在的な能力や意欲のある人材は日本にも十分いると考えます。しかし、これまで優秀な人材の多くは有名企業に入り、転職などをあまり経験せずに、その企業に長く勤めるのがマジョリティーでした。その状態では、個別企業に固有のビジネス手法や価値観・慣習に染まりすぎてしまい、自身の能力や適性を客観的に知る機会が減ってしまいます。日本企業で安定的なポジションをもっていれば、十分な福利厚生を受けられますし、転職に対して食指が動かないのでしょう。
この人材に関する問題については、日本の雇用流動性の低さが1つの要因となっていると考えられますが、最近では兼業・副業制度を取り入れる大企業が増え、新しい時代の流れを生み出していると感じます。本業とは異なる自分の好奇心に基づいて取り組んでいく活動は、本業における自分とは別の視点・経験を生み出すことができます。人材が組織に対して固定的に帰属していましたが、このような制度によって自分の価値・能力を顕在化できるようになったのは評価すべきことではないでしょうか。若者の転職が増えていますし、その選択肢の1つとして起業が入ってきているのでしょう。
──今年にはスタートアップの資金調達市場は1兆円規模になると見込まれています。福岡のスタートアップ市場も盛り上がりを見せているのでしょうか。
高田 機運は確実に高まっています。とくに高島宗一郎福岡市長が強いリーダーシップを発揮してきたと感じます。しかし、福岡で起業しても、事業成長に必要なステークホルダーや、世界を見据えたときにパートナー候補となるグローバル企業が東京に集まっているため、ある程度大きくなる段階で福岡から東京に機能を移すスタートアップの事例があるのも事実です。
福岡は創業特区としてさまざまな動きを見せていますが、この時流を一過性のもので終わらせないためには、「良いサイクルを生み出すこと」が急がれます。行政や民間組織の起業サポートを利用し、イグジットを成功させた創業メンバーたちがキャピタルゲインを獲得。その資金をもって、次世代の起業家たちに資金やノウハウを還元するエンジェル投資家となる。彼らの力を借りてイグジットに到達した起業家たちがまた次世代のエンジェル投資家となり投資を行う…。このように、ノウハウと資金の循環のかたちをネズミ算式に増やしていくことで、スタートアップ市場・プレーヤーの拡大を加速できます。この福岡の地に、そのロールモデルが現れることを期待しています。
(了)
【文・構成:杉町 彩紗】
<プロフィール>
高田 仁(たかた・めぐみ)
九州大学工学部卒業後、大手メーカーに勤務。同大学院工学研究科修士課程修了後、コンサルタント会社で学術研究都市やサイエンスパークなど地域計画の立案に従事した。1999年から2002年まで(株)先端科学技術インキュベーションセンター(CASTI、現・東京大学TLO)取締役副社長兼COOを務めた後、03年に九大ビジネス・スクール(QBS)助教授に就任(07年に准教授に名称変更)。同10月から10年まで同大知的財産本部技術移転グループリーダー、05年から10年まで総長特別補佐を兼務。09年から翌年まで米国MIT(マサチューセッツ工科大学)客員研究員。10年から九大ロバート・ファン/アントレプレナーシップ・センター(QREC)兼務。14年から教授、15年からQBS専攻長。19年からQRECセンター長を兼務。20年からは再びQBS専攻長、九大副理事(産学官連携、リカレント・アントレプレナーシップ教育担当)、RTTP(国際認定技術移転プロフェッショナル)に就任した。関連記事
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