2024年09月15日( 日 )

持続可能性を求めて~JR肥薩線復旧の行方(前)

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 2020年7月の熊本豪雨で被災して不通になった肥薩線の一部区間を、河川や道路の災害復旧事業と連携して復旧。再開後は鉄道保有と列車運行を分ける「上下分離」で鉄道を存続する案が浮かんだ。

 地方の人口減少と少子化が深刻化するなかでコロナ禍が追い打ちをかけて、地方鉄道が存続の危機にさらされている。大規模災害に見舞われた肥薩線の復旧は、国、鉄道事業者、地元自治体が地方交通網の在り方を考えるモデルケースの1つになる可能性がある。

 肥薩線は路線距離124kmで、鹿児島本線八代駅(熊本県八代市)と日豊本線隼人駅(鹿児島県霧島市)を結んでいる。八代海沿いに新線が開業した1927年までの18年間は鹿児島本線だった。路線名が変わった後も、熊本、宮崎、鹿児島の南九州3県を縦走する唯一の鉄道で、JR九州の豪華寝台列車『ななつ星in九州』の3泊4日コースに入る九州屈指の観光路線。

 20年7月の豪雨では被災が大きかった八代駅と吉松駅(鹿児島県湧水町)間の62.8kmが不通になった。JR九州の調べでは、被災したのは448カ所。うち447カ所までが熊本県側の沿線4市町(八代市、芦北町、球磨村、人吉市)に集中。1908(明治41)年に完成し、国の近代化産業遺産になった米国製の球磨川第一橋梁(八代市)と第二橋梁(熊本県球磨村)も濁流に飲み込まれた。

熊本豪雨で橋桁ごと流されたJR肥薩線球磨川第二橋梁。明治41(1908)年の架設で国の近代化産業遺産群の1つに指定されていた(熊本県球磨村渡付近)
熊本豪雨で橋桁ごと流されたJR肥薩線球磨川第二橋梁。
明治41(1908)年の架設で
国の近代化産業遺産群の1つに指定されていた
(熊本県球磨村渡付近)

 地元は早期復旧を訴えたものの、JR九州は「被災原因になった球磨川の治水計画で堤防の高さや位置、最大流量などが明らかにならないと、復旧費を算出できず話し合えない」と協議を棚上げした。

 動きが出たのは今年3月22日。国交省、熊本県、JR九州でつくる「JR肥薩線検討会議」の初会合を開いて鉄道による復旧を確認。そのうえで鉄道の復旧工事を河川や道路の復旧事業と連携して進めてJR九州の負担を軽くする一方、復旧後の肥薩線の運行が持続可能になる方策の協議を開始した。

 ほぼ1カ月前の2月14日。国交省は、地方鉄道の在り方を検討する有識者検討会を立ち上げていた。沿線人口の減少や少子化、マイカー普及に加えてコロナ禍。先細りが避けられない地方鉄道への危機感が背景にある。

 「大量高速輸送機関という鉄道の特性を評価して、持続性の高い地域公共交通を再構築する環境を整えたい」と国交省鉄道局。平たくいえば、大量高速輸送機関の特性が評価できないと判断された地方鉄道は、持続性が望めるほかの交通手段を選択、転換してもらうわけだ。

球磨川の氾濫で折れ曲がった線路(熊本県球磨村一勝地付近)
球磨川の氾濫で折れ曲がった線路
(熊本県球磨村一勝地付近)

 そして5月20日の2回目の検討会議。国交省とJR九州は、事業連携を織り込み、鉄道軌道整備法の災害補助制度も適用した概算復旧費を報告。併せて被災前の肥薩線の利用状況と取り巻く環境を説明した。概算復旧費は235億円。内訳は球磨川第一橋梁64億円、第二橋梁61億円、その他区間110億円。これを第一橋梁と第二橋梁は河川整備費を、その他区間は道路のかさ上げなど道路整備費を投じることで、JR九州の負担は第一橋梁2億円、第二橋梁1億円、その他区間73億円の計76億円に減る。

 これに整備法の災害復旧制度の適用によって、赤字線の肥薩線は、国と地元自治体合わせて半額補助が可能となり、JR九州の負担は38億円に低下。さらに復旧区間を「上下分離」すると、国と地元自治体の補助が3分の2になり、JR九州の負担は25億円に。JR九州は、最大限で公金補助9割という手厚い支援によって被災区間を再開できる。

 ところが、検討会議終了後、同社の松下琢磨常務執行役員は「(肥薩線)運行再開後の持続性可能性もセットで考える必要がある」と指摘、国交省や熊本県など沿線自治体の出方をさらに見守る姿勢を崩さなかった。

(つづく)

【南里 秀之】

(中)

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