2024年11月05日( 火 )

石原慎太郎都政の無責任体質は、日本の官僚組織そのものだ!(後)

記事を保存する

保存した記事はマイページからいつでも閲覧いただけます。

印刷
お問い合わせ

下に権限を「丸投げ」し、セクショナリズムに陥る

tukiji なぜ、「空気の中で決める無責任体制」になるのか。権限が下に委譲されていき、それゆえのセクショナリズムに陥るからである。権限の委譲とは、平たくいえば、権限を下に「丸投げ」することだ。官僚組織では、部門トップはキャリア官僚だが、彼らは2年程度でコロコロ代わる。専門知識に乏しい。その部門一筋で専門知識が豊富なノンキャリアに実務を丸投げする。

 小池知事は9月27日、NHKの番組「クローズアップ現代+」に出演した。NHKの取材によると、地下空間を発案したのは東京都の技術系の職員だという。建物の下に作業空間を確保することが必要といった理由からだそうだ。しかし、技術系の職員の上司にあたる事務系出身の市場長には詳しい説明がなされないまま了承されたと見られているという。

 上から実務を「丸投げ」された技術系職員たちは、身内でああだこうだと話しあっているうちに、ある職員が発案した地下空間にするという「空気」が生まれて決まったということだ。誰が決めたかのはよく分からない。

 技術系が事務系出身に報告しなかったのは、縦割り行政のしきたりだからである。行政事務の処理・遂行にあたり、各部門間の横の連絡、調整がほとんどなく、それぞれが縦のつながりだけで行われている日本の行政の特徴といえる。

 その結果、セクショナリズムがはびこる。ひとつの組織のなかで、自分が属する部局の立場に固守して、全体的な視野をもとうとしない。縄張り争いである。第2次世界大戦中の軍部内部の陸軍と海軍の対立は、全体を統括する組織を欠いたセクショナリズムの典型例として有名だ。

都庁には、事務職と技術職の縦割り、同じ技術職のなかでも土木系と建築系の縦割りがある。「隣は何をする人ぞ」。意見交換することはなかった。

ガバナンスの基点は約束と責任だ

 築地市場の豊洲移転の問題で浮き彫りになったのは、都庁はカバナンスが欠如しているということだ。誰が決定権者なのか分からない。決定権者であるはずの石原慎太郎元知事が「都庁を伏魔殿」と評論家みたいに口走る。自らの関与を否定する石原慎太郎元知事や歴代の市場長には意思決定権者としての自覚がまるでない。

 都庁のホームペーページの「都政のしくみ」によると、〈都政の意思を決定する議決機関として都議会が置かれ、執行機関として知事のほか行政委員会が置かれている〉とある。
 最高意思決定機関は、国家では国会、株式会社では株主総会、都庁では都議会である。実際の意思決定機関は、国家では閣議で、会社では取締役会だ。ところが、都庁には、それがない。不思議というほかはない。

 小池知事は、先のNHKの番組で「都庁の問題は、責任の所在が共有されていないこと。政府でいう閣議のよう形で情報を共有する会議を持ちたい」と語っている。都庁には、取締役会のような意思決定機関がなかったことがわかる。

 都庁は、すでに統治能力を欠いている。都庁の課題克服には、企業の取り組みが参考になろう。企業の行動指針は「約束と結果責任」。ビジネスの基本は責任から始まる。約束したことに結果責任がともなう。約束を果せなかったら、責任を問う。責任を負わないことを行動原理としてきた官僚には、最も効き目がある行動規範になる。

(了)

 
(前)

関連記事