トヨタがミサワホームを子会社化 豊田一族の「一人一業」がやっと成就(前)
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トヨタホーム(株)は11月22日、ミサワホーム(株)への出資比率を51%に引上げると発表した。発行済み株式の上限にTOB(株式公開買い付け)を実施し、残りを第三者割当増資で引き受ける。出資総額は147億円。トヨタ自動車(株)で住宅事業を手掛けるトヨタホームは、05年にミサワホームと提携、13.4%を出資。10年に27.8%まで高めて筆頭株主となった。10年がかりで取り組んでミサワホームのM&A(合併・買収)は、やっと子会社化にこぎ着けた。
ミサワホームの買収は特別な意味を持つ。創業家である豊田一族の「一人一業」の成就に、ミサワホームは欠かせないパーツとなっていたからだ。しかし、その舞台裏は敵対的買収で、世界のTOYOTAがそこまでやるのかと「いやな感じ」がしたものだ。業祖・豊田佐吉が説いた「一人一業」の勧め
世界一の自動車メーカーとなったトヨタ自動車。創業家である豊田家にまつわるエピソードは、神話化されやすい。業祖、豊田佐吉翁が「一人一業」を説いて、代々の盟主は、それぞれが新事業を起業したという説だ。
豊田佐吉翁は、豊田式自動織機の発明者として教科書にも登場する。佐吉翁は1927年10月、昭和天皇から勲章を授与され、親族一同、記念撮影という晴れの席で倒れた。そして、「喜一郎、お前は自動車をやれ」と一言、言い残して世を去ったというのが「一人一業」の始まりとされる。
長男の豊田喜一郎氏がトヨタ自動車を設立したのは、この「一人一業」を説く佐吉翁の意思による、と巷間伝わっている。
二代目の豊田喜一郎氏は三代目の長男、豊田章一郎氏(現・名誉会長)に「一人一業」を進め、こう語って聞かせたという。〈おれは自動車のことは何もやらなかった。全部、部下がやってくれた。ただし、おれは紡織機には全知全能をかけたが、世間は、全部、佐吉がやったと言うよ〉
章一郎氏は、父の言葉を〈お前がいくら自動車をやったって、自動車はおれ〈=喜一郎〉だということになる。だから、お前が何か仕事をやりたいと思ったら、自動車以外のことをやらなきゃだめだ〉と理解したという(読売新聞01年5月14日付)。
喜一郎氏が勧めたのは住宅だ。戦後、一面の焼け野原を目にした喜一郎氏は「木や紙でつくった燃える家ではダメだ」と痛感したからだ。章一郎氏は、木と紙でつくらないトヨタホームを起し「一人一業」を実践した。消費者は木で造った住宅を好んだ
1975年8月、トヨタ自動車工業(株)住宅事業部を新設。77年から戸建住宅トヨタホーム(鉄骨構造体)の発売を開始した。巨大資本のトヨタの住宅参入に、全国の住宅会社は淘汰されてしまうとパニックに襲われた。しかし、そうはならなかった。日本の庶民は木で造った住宅を好んだからだ。
住宅業界のなかで、トヨタホームの存在感はなかった。同社の16年3月期の連結売上高は1,671億円、単独売上は803億円にとどまる。大和ハウス工業(株)(16年3月期売上3兆1,929億円)や積水ハウス(株)(16年1月期売上1兆8,588億円)の足元にも届かない。トヨタにとって、住宅は章一郎氏の「一人一業」の事業だ。何としてでも、住宅事業を形あるものにしなければならない。そのためには、トヨタホームが弱い木造住宅を手に入れる必要がある。それがミサワホーム買収の大作戦である。ミサワホーム(16年3月期売上3,993億円)を連結子会社に組み入れれば、戸建て住宅業界の5位に浮上できる。
ミサワホームは1967年、ベンチャー起業家の三澤千代治氏が創業。耐久性やデザイン性に優れた商品開発を進めた結果、ミサワホームは日本最大の住宅メーカーとなった。
(つづく)
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