2024年12月23日( 月 )

シダックス大混乱、創業家=オイシックス連携に取締役会猛反対(前)

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 学校給食、社員食堂、病院、介護施設向けの給食ビジネスを手がけるシダックスの経営が大混乱している。きっかけは、有機・無添加食品の通信販売会社「オイシックス・ラ・大地」が、シダックス株の公開買い付けを始めたことだ。シダックス創業家と足並みをそろえた動きだったが、そこに「待った」をかけたのがシダックスの他の取締役。創業家の二代目経営者が“お家再興”を賭けた乾坤一徹の宮廷クーデターといえる。

ユニゾンが保有するシダックス株の争奪戦

東京 イメージ    騒動の発端は、大株主のファンド、ユニゾン・キャピタル(株)が保有する株式27.0%を手に入れようと、シダックス(株)創業家とタッグを組んだオイシックス・ラ・大地(株)がTOB(株式公開買い付け)に踏み切ったことだった。

 ところが9月5日、シダックス取締役会はTOBに反対を表明した。利害関係者の創業家らを除く取締役3人で決めた。

 ファンドの株式売却に難色を示して事態が膠着したところに、外食大手の(株)コロワイドが主力の給食事業を提案していたことが判明。第3勢力の登場により、混迷はさらに深まった。

 ユニゾンが保有する株をめぐる争奪戦で、取締役会は分裂。シダックスは大混乱に陥った。どうして、こうなったのか。時計の針を巻き戻してみよう。

創業者の志太勤氏は七転び八起の半生

 シダックス創業者の志太勤取締役最高顧問(87)は立志伝中の人物だ。

 静岡県出身の志太氏の半生は七転び八起きだった。高校球児として鳴らし、甲子園を夢見たが、病気で野球を断念。このショックは大きく、自殺しようと「自殺の名所」の海岸をさまよっていると、公園の管理人に諭されて思いとどまった。

 心機一転、義兄から大衆食堂を譲り受けた。しかし、食堂前の道路とは別にバイパスができると、客足が途絶え、廃業に追い込まれた。アイスキャンデーの工場も火災に遭った。

 「夜逃げ」同然に上京。焼け落ちた工場のくず鉄を拾い集めて汽車賃を捻出した。知り合いの伝手を頼って、富士写真フイルム(株)(現・富士フイルムホールディングス(株))の調布現像所の社員食堂に潜り込み、1960年調布市に富士食品工業(株)(現・シダックスコントラクトフードサービス(株))を創業した。以来、官公庁や工場の社員食堂の受託や、病院や老人ホームに食事を提供する給食サービス大手にのし上がった。

 志太氏は93年、レストランとカラオケボックスを一体化したレストランカラオケ事業の多店舗展開に乗り出した。カラオケボックスは学生のコンパやサラリーマンなどの懇親会の2次会の会場によく利用され大繁盛した。

 2001年4月ジャスダックに上場。事業が軌道に乗ったことから高校球児であった勤氏は大好きな野球に入れ込む。02年プロ野球の南海、ヤクルト、阪神、楽天で監督を務めた野村克也氏(20年2月死去、享年84歳)をシダックス野球部のGM兼監督に招いて球界を驚かせた。

 このころが、志太勤氏の全盛期だった。

時代の変化をキャッチできなかったカラオケ事業

 勤氏の後を継いだのが長男の勤一氏(65)。8年間、米国で武者修行し、95年多摩大学大学院修士課程を修了。勤一氏が40歳になった97年に社長職を禅譲した。

 勤一氏は典型的な二代目社長。大学院で学んだ経営理論をそのまま実践した。(株)ダイエーや(株)西友など外部出身の幹部候補生を相次いでスカウトし、勤氏と苦楽を共にしてきた生え抜きの幹部は軽んじられた。

 企業の成長過程では、経営企画など官僚型幹部が幅を利かすようになるが、シダックスは、その典型。現場の動向をキャッチする嗅覚が衰えた。

 カラオケ事業の失敗は、現場の動向に疎かったことによる。ピーク時の09年には全国に300店舗以上(1万6,000ルーム)を展開。シダックスはカラオケ業界で断トツ首位だったが、その直後から売上が落ち始めた。

 シダックスは時代の変化に乗り遅れた。「飲食持ち込みOK」などの格安店、「ひとりカラオケ」など少人数の利用が増えるなか、シダックスはグループ利用を想定した飲食提供の大型店が多く、新たな需要をつかみきれなかった。

 シダックスはカラオケボックス事業の不振から20年3月期まで5期連続の最終赤字に転落。勤氏の長男、志太勤一社長はカラオケ事業から撤退。ライバルの「カラオケ館」を運営する(株)B&Vに譲渡した。シダックスの1人負けだった。

投資ファンドが断行した脱創業家の改革

 19年、シダックスはカラオケ事業の失敗で経営が悪化。二代目の志太勤一社長は、経営コンサルタントの柴山慎一氏(65)に助けを求めた。NEC(日本電気(株))から(株)野村総合研究所に転じ、野村総研で広報部長、総務部長やグループ会社の社長を歴任。現在、社会情報大学院大学の教授を務める傍ら、シダックスの専務でもある。

 5月になると、ユニゾンが60億円出資して経営支援に乗り出した。ユニゾン・キャピタル代表取締役・川崎達生氏(57)は自らシダックスの取締役に就任し、柴山氏と組んで経営再建に臨んだ。

 新体制では創業家の勤一氏は会長兼社長とNO1の肩書がついたが、実権はユニゾンが握った。ユニゾンは「ガバナンス改革」を進めた。取締役会の構成を社外中心に変更。そして、創業家の事業であるエステやワインなどの事業から次々、撤退。創業家とユニゾンとの関係に亀裂が深まった。

(つづく)

【森村 和男】

(後)

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