九州地銀グループの実力度を検証(9)
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ここまで九州地銀18行のうち、経営統合に参加していない8行の行方を予想してきた。
既に金融グループ入りしている銀行は10行となっており、残り8行がどのような選択をするかによって、勢力図は大きく塗りかわる可能性も出てきている。
現在金融グループは、西日本シティ銀行グループとふくおかフィナンシャルグループ(FG)の2行(いずれも福岡市)がある。今年10月には肥後銀行と鹿児島銀行が経営統合して九州FG(熊本市)が誕生し、九州に本部を構える金融グループは3行となるが、果たして新たな金融グループが誕生するのだろうか。まずはふくおかFGと西日本シティ銀行グループから検証していきたい。ふくおかFGについて
・福岡銀行は2000年4月、佃亮二氏に代わって寺本清氏が頭取に就任。翌年の3月期に思い切って大幅な貸倒引当金を積み赤字決算となったが、翌年の02年3月の決算で業績を急回復させた。それまで寺本氏を含め日銀出身者が5代(約50年)続いていたが、好業績を背景に05年3月、生え抜きの谷正明頭取が誕生。
・しかしその喜びも束の間だった。金融庁は谷頭取に対し翌年の06年5月、整理回収機構の管理下にあった熊本ファミリー銀行(現熊本銀行)の救済を要請。続けて翌年10月には、九州親和ホールディングスの救済と、立て続けに難題を突き付けてきたのだ。
ただ福岡銀行にとって幸いだったのは、不良債権を処理した後の2行を資本参加という「濡れ手に粟」で安く手に入れ、ふくおかFGを設立。西日本シティ銀行とは違い、熊本県を地盤とする熊本銀行(熊本市)、長崎県を地盤とする親和銀行(佐世保市)を傘下に治めることになり、一気に九州全域を制覇する体制が整うことになったのだ。ふくおかFGの攻勢をきっかけにして、九州FGの誕生が早まったと言っても過言ではないかもしれない。西日本シティ銀行グループについて
・かつて西日本銀行は同じ福岡市に本店のある福岡シティ銀行とライバル関係にあった。西日本銀行の頭取は大蔵省(現金融庁)からの天下りであったが、福岡シティ銀行は創業家の二代目である四島司社長(兼頭取)が1969年以来長期にわたり君臨していた。しかし90年代に入り大量の不良債権を抱え経営が悪化。02年に公的資金の受け入れに伴い、金融庁の指示を受けて宿敵のライバルであった西日本銀行に救済合併を求めたのだ。
・2004年10月、表面的には西日本銀行と福岡シティ銀行は対等合併して西日本シティ銀行グループ(昨年12月九州銀行を100%子会社化)が誕生したが、不良債権の処理や店舗の統廃合などに多大な費用と労力を費やし、福岡銀行との格差が格段に広がったと言われる。今になって振り返れば、それを助長したのは皮肉にも金融庁そのものではなかっただろうか。(つづく)
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