2024年11月23日( 土 )

イタリア元気レポート(4)~農業国であり、観光産業にも学ぶところが大

記事を保存する

保存した記事はマイページからいつでも閲覧いただけます。

印刷
お問い合わせ

 今回の視察で焦点を絞ったのは、農業と観光産業であった。まずは車窓から眺めると、国土の大半は農地である。この農地で、生産性の高い農業システムが運営されている。7月6日、ローマにおいてイタリア農業連盟会長らとの意見交流会、商品展示会を行った。展示会における担当者の熱意には、感心させられた。名刺交換を求め、次に通訳を介して商品説明するひた向きな姿勢には、農産物を輸出しようという強い使命感を抱いていることを知った。

 ローマ市内を回れば、すぐに理解できる。市内は至るところが遺跡だらけである。これら遺跡が集積されていることを理由に、開発規制が隅々まで行きわたっている。極端な表現をすれば、この1700年間、ローマという都市ではインフラ整備がまったくなされていない。それなのに、観光客は毎年押し寄せてくる。その数は半端ではない。日本人からしてみれば、うらやましい限りである。観光客は歴史の蓄積に惹かれて来るのか!!

 どうであれ、イタリアの農業問題と観光事業にスポットライトを当ててみよう。

商品展示会でのワイン試飲リスト

※クリックで拡大

儲ける農業育成

 前述した「イタリア農業連盟」の会員数は90万(個人、組織団体)と言われ、イタリア全土に組織網が敷かれてある。イタリアの農業でも、日本と同じように若者の確保に悩んでいる。それを解決するために、『稼げる農業』を標榜しているのだ。農業の6次産業化へ挑戦している。サービス業にあたる3次産業では、観光産業とのドッキングが多岐にわたっている(例としては、観光客向けのブドウ生産者の自宅で、“ワイン堪能会”を頻繁に行っているようだ)。

 ここで、イタリアの農林水産業の概況に触れてみよう(2016年10月、農林水産省調べより)。
 イタリアは主に半島部分のほか、地中海1位と2位の大きさのシチリア島、サルディーニャ島から成り、国土面積は日本の約8割。半島中央部をアペニン山脈が縦走し、北部のアルプス山脈との間にパダノ=ベネタ平野が形成されている。気候は温帯に属し、北部は1年を通じて降水があるが、南部は夏に雨が少なく、乾燥した地中海性気候となっている。国土に占める平地の割合は小さいものの、丘陵地や山岳地も農用地として利用されているため、国土面積に占める農用地の割合は45%に上る。イタリアはEUの主要農業国の1つであり、農業生産額はフランス・ドイツに次ぐ3位で、EU全体の13%を占める(14年)。

 北部は雨量が多く、灌漑も発達しているため、軟質小麦や水稲、酪農などが盛んで、西欧型農業に近い。北部のポー川流域に広がるパダノ=ベネタ平野では、稲作が行われている。南部は年間を通して比較的高温で、とくに夏季に降雨が少ないことから、硬質小麦やオリーブ、柑橘などの地中海型農業が盛ん。主要農畜産物は、小麦、ぶどう、トマト、オリーブ、豚肉、生乳など。加工品では、ワイン(2013年輸出額で世界2位)、トマトペースト(同2位)、オリーブオイル(同2位)、チーズ(同4位)など。

 また、有機農業が盛んである。有機農業面積は139万haで、世界第6位(EU内ではスペインに次いで第2位)、農用地に占める有機農業面積の割合は11%で世界第11位(14年)、1経営体あたりの平均経営面積は12ha(13年)となっている。

日本が輸入超過

 日本とイタリアの農林水産物貿易概況では、15年の場合では10億ドルのマイナスである。1ドル110円で換算しても、1,100億円の輸入超過なのである。【表】「農林水産物貿易概況」を参照されたし。
 原因は明快だ。イタリアからのワイン輸入が原因である。アルコール飲料のなかに占めるワインが中核であり、イタリアワインがそれだけ日本人から愛されているという証明なのだ。

歴史遺産が観光資源

 15年統計では、イタリアに訪れた外人観光客は5,073万2,000人、日本のそれは1,973万7,000人である。ただし、その後訪日外国人観光客は急増しており、年間2,400万人内外となっている。とはいえ、日本の急増した数を勘案しても、イタリアと日本との外国人観光客市場には2倍以上の格差がある。
 イタリアの観光資源の特色は、歴史遺産に頼っているということだ。もう少し表現を変えると、「ローマ帝国を含めた歴史ブランドに惹かれて、観光客が押し寄せている」ということだ。

 俗物的な言い方で表現しよう。ローマの街を見れば、一目瞭然である。2000年前からのローマ帝国時代に築かれた遺跡が観光財産となっているのだ。カラカラ浴場での野外オペラには、毎夜、1万人近い観客を集めており、周囲にはコロシアム遺跡が残されている。2000年前の“黄金のローマ帝国”に思いを馳せながらのオペラ・カルメン観賞は、乙なものである。対照的に、ニューヨーク・マンハッタンの夜のミュージカルの楽しみは、“現代の匂い”を嗅ぐことができるという違いがある。

 ミラノ大聖堂(ドゥオーモ)には、7月4日の朝9時半ごろに礼拝した。ただ、3年前に訪れたときと比較すると、「えらく閑散としているな」という印象を受けた。ところが、その後にブレラ美術館を見学し、午前11時になってミラノ大聖堂に戻って来ると、いつものように観光客が大挙して押し寄せてきていたのである。押し合いへし合いの状況を目撃して一安心したが、このドゥオーモはミラノ観光のメッカである。ここもまた、歴史遺産が強力な観光資源になっているのだ。
 ナポリに行けば、ポンペイ遺跡の視察コースが“ドル箱”になっている。1950年前の火山爆発で埋もれた都市の遺跡が、観光名所になっているのである。7月6日、ポンペイには行かずに、ナポリにある国立考古学博物館を見学した。すると、びっくり仰天!!火山灰に埋もれたポンペイから発掘された美術品や食器類が展示されているのである。展示品に接するたびに、約2000年前のイタリアの、生活水準や精神面での高さをうかがい知ることができる。当時の人たちは、精神面で病むことはなかったのであろう。

ミラノ観光のメッカ「ミラノ大聖堂(ドゥオーモ)」

ナポリの国立考古学博物館

ソレントを知らずして、見ずして死ねるか!!

ソレントの美しい風景

 ナポリから南に約50km、ナポリ湾を囲むように対岸にあるのが、南イタリアの小さな町「ソレント」だ。ここからは、対岸のヴェスヴィオ山(火山)を眺めることができる。なお、このヴェスヴィオ山の噴火により、ポンペイは“死の街”へと変えられた。
 ソレントから東のサレルノまでの約40kmにおよぶ海岸が、かの有名な「アマルフィ海岸」である。この美しい風景の写真を見たら、「ソレントを知らずして、見ずして死ねるか!!」という気分になる。
 どうであれ、日本がイタリアから学ぶものは、農産業ビジネスと観光産業である。元気なイタリアとの絆を強くしていけば、素晴らしいことになるであろう。

(つづく)

 
(3)
(5)

関連記事