2024年11月24日( 日 )

イタリア元気レポート(6)~ナポリはアテネの侵略拠点だった

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2600年の歴史・アテネの植民地から始まった

 7月4日ミラノ空港(国内線)を午後3時20分に発ってナポリには午後4時35分に到着した。イタリア半島を縦断した所要時間は1時間15分である。空港に立つと思わず「日差しが激烈」と叫んでしまった。それはそうであろう。地中海の対岸はアフリカ・リビアである。暑いのは当然。ナポリは人口98万人、都市圏300万人でイタリア3番目の都市だ。南イタリア地区を牽引する観光・物流の拠点である(港湾の扱いはジュノバに次いで2位)。

 ここで「日本とイタリアの決定的な違い」を考えた。イタリアは陸続きの半島で、日本は島国だ。この違いは繰り返し侵略を受けたイタリアと、侵略をどうにか食い止めた日本の差につながり、国民性の醸成にも影響を与えている。このことはイタリア人の外見からも理解できる。ミラノなどの北部イタリアとナポリなどの南部イタリアでは体形の違いが顕著になる。北部は背丈があり南は胴長体系が一般的になる。イタリア半島には民族のバリエーションが豊富だと分かる。

 ナポリは今のイタリア国家の南部に位置する。シリーズの3回目で紹介したようにイタリアの現代流の国家統一は150年前である。2600年の歴史があるとされるナポリにとって150年という期間は一瞬のものだ。ナポリの気質・風土の特性を語るには150年より以前にさかのぼる必要がある。まずは2600年前、ナポリはアテネ国家(ギリシャ)の植民地としてスタートしたことを知るべきだ。イタリア半島征服のための橋頭保の役を務めたのである。

6000年の悠久の歴史を抱える地中海交流

 2016年3月、クレタ島に1週間滞在した。「クレタ島には6000年前のオリーブの樹木がある」と友人から耳にしたので現地に飛んだ。これは6000年前からクレタ島の住民たちは料理にオリーブを使っていたことを意味する。樹齢6000年のオリーブ樹にはお目にかかれなかったが、歴史遺産は目にすることができた。少なくとも3000年前の歴史遺産はゴロゴロと積まれていた。

 このクレタ島に豊かな文明をもたらしたのはエジプトである。この地区の文明の源は6000年前と言われている。ピラミッドを建設したエジプトの王朝は4000年前に絶頂を迎えている。この王朝の威厳が地中海を渡ってクレタ島、ギリシャ本土=アテネと伝播されていったのだ。アテネ王国のスタートは3000年前でピークはソクラテスが活躍した2600年前だ。ちょうどその時にナポリはアテネの植民地になったのだ。多数のアテネ人が定住したことは間違いない。そのためナポリ人のルーツはアテネ人の色が濃くにじんでいる。

 クレタ島の浜辺で寝ころびながら6000年の悠久の歴史、その変遷に思いを巡らせた。エジプト王朝の栄華が地中海を渡りイタリア半島沿岸部へ伝播する。アテネ都市国家を誕生させ1000年の覇権時代を迎えた。そしてローマ帝国がアテネを制圧する。ギリシャ文明は衰退していくのである。さらにローマ帝国はエジプトまで勢力範囲を拡大させてシーザーがクレオパトラをめとるまでになったのである(ローマ国家が間接的支配をしたのだ)。

 ローマ帝国がエジプト遠征の発進基地としたのがナポリである。紀元後、ナポリはローマ国家の一部となっていた。ようやくローマ国の血が交わり始めたのである。日本は1940年に紀元2600年記念行事が行われた(現在紀元2677年)。当時はアテネ、ローマにはもう文字があったから歴史を証明する書置きが無限にある。日本にはない。クレタ島で6000年の悠久の歴史に思いを馳せた体験は、筆者にしてみれば100億円握ったくらいに貴重なものとなった。

ナポリはイタリア半島への波動を掴む最先端地域

 歴史をつづればキリがない。現代まで価値観の根幹を伝授してくれたローマ市民国家がキリスト教の普及によって潰された。当然、ナポリにもその時の流れが直撃する。概略を述べる。支配者にとってナポリは戦略的な要地である。東ローマ帝国時代にはナポリは一大拠点として活用された。それ以降、スペイン、フランス、オーストリアの各王朝に支配され、最後はナポレオンに征服された事実も残っている。

 ローマ国家の崩壊以降、イタリア半島各地区ではジュノバ、ミラノ、ヴェネツィアなどが地域国家として割拠していた。しかし他の地域は外部の勢力の繰り返しの支配に甘んじていた。ナポリは良い意味でも悪い意味でもそのイタリア半島の最先端の波動を掴んできた。

 このダイナミックな、侵略を受けた歴史を背負っているイタリア半島は複雑怪奇な要素で成立している。日本とは比較にならないのである。その奥深さゆえに、ナポリも単純に『ナポリ人とはこういうものだ』とは表現できないのである。

(つづく)

 
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