2024年12月23日( 月 )

宇和島運輸新造船「れいめい丸」が就航(前)

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運輸評論家 堀内 重人

 宇和島運輸(株)(愛媛県八幡浜市)は、八幡浜市の八幡浜港と大分県別府市の別府港、臼杵市の臼杵港を結ぶフェリー航路を運営している海運会社である。会社名にある宇和島からの航路は、2000年11月に宇和島~別府間の航路が旅客数の減少を理由に休止になるまで運航されていた。

 宇和島運輸は現在、八幡浜~別府間の航路と、八幡浜~臼杵間の航路を運航していることから、四国~九州間の人流や物流を支えている。

 宇和島運輸のトピックとして、2022年6月23日に新造船として「れいめい丸」が就航したことが挙げられる。そこで本稿では、「れいめい丸」が導入された背景とその様子などを紹介したい。  

宇和島運輸の始まり

れいめい丸 宇和島から阪神地区や九州各地を結ぶ航路は、江戸時代から開かれていた。だがその実態は個人経営の船問屋などによる運航が多く、明治時代になっても回船問屋が使う帆船による運航であった。それゆえ速度も遅く、時間を要した。

 この現状を打開するべく、1884年(明治17年)5月に60余りの船主が集まって大阪商船が設立された。これにより汽船が瀬戸内海に就航することになり、定期航路が宇和島にも開設され、蒸気船が寄港するようになった。

 だが速度が速くなり、所要時間こそ短くなったが、運賃は高額であった。その反面、旅客サービスや荷物の扱いの質は低く、利用者はサービスに対して不満が強かった。

 そこで約半年後の同年12月に、地元の経済人の有志が出資するかたちで宇和島運輸会社が設立された。設立時の資本金は1万円であるから、現在の価値に換算すれば2億円を下ることはないと考えられる。実際の運航の開始は、翌1885年(明治18年)5月からである。

 このときに第1船である「第1宇和島丸」が就航した。航路は、宇和島を出港すると大分・別府を経由して大阪へ向かう航路であり、宇和島から大阪まで片道で3日も要した。大阪で乗客や貨物を積んで折り返すため、1往復するのに8日も要したが、宇和島運輸による独自の定期航路の開設であり、帆船による運航の時代と比較すれば、画期的な所要時間の短縮であった。

 宇和島運輸が誕生したことで、大阪商船とは競争が生じることになった。両者はさまざまなサービスを打ち出し、顧客を囲い込むため激しい競争を繰り広げた。だが過当競争がお互いの体力を消耗させるため、1906年(明治39年)に協定を締結して、過当競争に終止符を打った歴史がある。

 さまざまな紆余曲折があったが、1965年10月にはフェリーが就航する。851tの「おれんじ丸」を建造して、八幡浜~臼杵間の航路で就航した。八幡浜~別府間のフェリー航路の開設は、1967年2月からである。

 1973年10月からは、宇和島~八幡浜~別府間の全便でフェリー化している。そして2000年11月には、利用者が減少したことを理由に、宇和島~別府間の航路が休止となった。宇和島運輸は、宇和島で操業を開始したが、現在の本社は八幡浜。宇和島への航路は皆無で、現在は八幡浜~別府間に1日6往復、八幡浜~臼杵間に1日7往復が就航している。

 八幡浜~別府間の航路は、観光客への利便性を向上させるため、深夜便は午前5時30分まで八幡浜と別府で船内に滞在が可能となるサービスを実施しているが、臼杵航路では深夜便を午前5時30分まで船内で待機させるサービスは、実施していない。これはこの航路は、オレンジフェリーも深夜便を運航しており、八幡浜港や臼杵港でそれらの船舶を停泊させる設備がないことが影響している。

 船内設備として、八幡浜~別府航路、八幡浜~臼杵航路とも、二等船室以外に一等船室と特等船室が備わる以外に、航行時間が2時間40分程度であるため食堂は設置していないが、売店が営業しており、軽食の提供が行われている。

(つづく)

(後)

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