2024年12月28日( 土 )

傑物・テリー国宗、我が人生に悔いは無し(2)

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福岡にも縁を持つ貢献者・テリー国宗

 テリー氏と当地福岡市との縁は1993、1994、1996年の3回、福岡ドームでモトクロスのイベント“Fukuoka Atlanta Mayor's Cup Super Cross"を開催したときからである。西日本新聞社とNHK福岡の共同主催で企画したが、容易に話し合いが進展しない。そこでテリー国宗氏が、米国側特別協力者として事前の準備工作(1990年頃)から関わるようになったのである。

 モトクロスは、米国ではポピュラーなスポーツである。だが当時、日本での屋内オートバイレースの公式戦を行った事例はなかった。テリー国宗氏が日米の関係者調整にメドをつけ、福岡に誘致することに成功したのである。ようやく日本で初めてこの福岡で正式の公認屋内オートバイレースの開催に漕ぎつけたのだ。そのビックイベントの最大の功労者がテリー氏であることを、今回初めて知った。

 さまざまな妨害を受けた。当初、国内では、既に東京の神宮球場にてエキシビションとしてレースイベントが行われていた。主催者側のキョードー東京が数人の有名選手を“一本釣り”して開催していたのである。この主催者はいずれ「正式レースの開催」を企画していたはずである。福岡で正式レースが行われることを耳にすればメンツをかけて嫌がらせ行為を行うかもしれないのだ。

 エキシビションのレースイベントで、親密関係にあったUS Suzukiだけが「福岡には選手を参加させない」という立場を鮮明にしたそうだ。これが因縁の妨害画策であったかどうかは現在でも真相は定かではない。テリー氏の言葉を借りれば、「福岡への選手参加」の説得には困難を極めたそうだ。「ここは一工夫が必要」と策を練った。正式レースを認定する団体が二つある。AMA(アメリカ・モーターサイクリスト協会)とMFJ(日本モーターサイクリスト協会)だ。この二団体に着眼したという。

 この二団体だと公式レースを認定するために、「US Suzuki のファクトリーライダーの参加は必須」と判断した。テリー氏たちは米国取材チームに知恵を絞り伝授したのである。「US Suzukiの監督に『不参加』のコメントを取れ!」と指示した。当時の、NHKカメラマンに頼み、カメラにフィルムを入れず「空回し」でチーム監督にインタビューし、「不参加のコメントを求めた」。その結果、監督は二つ返事で参加するとなったという。テリー氏の弁によると、「さすがNHKのパワーと国営放送の影響力。あらためて認識し直した」となる。

国内での「モトクロスは危険」キャンペーンを一蹴

 また、日本側では「ドーム内でコースを造りオートバイを走らせるとなると危険だ」というキャンペーンが張られた。各関係者の反対の言い草は「危ない」「子どもが暴走族になる」というものばかりであったとか。凄まじいネガティブな意見ばかりであるが、さらに加えて、難儀な法的規制の壁まで立ち塞がってきた。「特殊な燃料を使用する為、消防署の許可が下りない」とか「警察署の許可も下りない」という障壁である。しかし、テリー国宗氏は秘策を駆使してあらゆる障壁を突破していったという。

 さまざまなドラマの連続を踏み越えて、事前の番組宣伝の為の取材を開始した。米国内の有名選手やその自宅、各メーカーのファクトリー等を訪問、NHKの取材チームを連れて足しげく周り、大変良い番宣報道番組の製作ができたそうだ。

 当時のイベント当日の番組放送は録画ではなく生放送である。イベントスタッフのカメラマン、ディレクターは「可能な限りインパクトのある映像を撮りたい、演出したい」という衝動に駆られる。走る米国人ライダー、チーム監督(US Honda、Yamaha、Kawasaki、Suzuki等の各メーカーの監督)へさまざまな依頼を行うが、残念ながら誰も英語を話せない。主催者側が用意した一般的な通訳では、モトクロスという特殊なレースでは何の役にも立たなかったという。苦労は続く。

(つづく)

<プロフィール>
テリー国宗
1943年香川県高松市生まれ。
1965年京都外国語大学英米語科卒、得意の外国語を生かし京都国際会議場においてOPECや幾多の国際会議の同時通訳を務める。
1979年4月渡米。紙・パルプ専門商社、米国法人“3T  TANAKAYA、INC”をロスに立ち上げる。
1993年、現(株)クニカル・インターナショナル・グループ(本社ロス)を起業。
ソーラー事業、半導体事業を開始。
1993年、現(株)TMB INTERNATIONAL社を起業。エンタメ及びイベント事業の開始。福岡ドームにおいてスーパークロス世界大会を3年間続ける。
1996年12月マイケルジャクソン・ワールドツアーの一環として福岡ドームにおいてコンサートを開催。
2002年キャサリン・ジャクソン(マイケルの母親)を名誉総裁にお迎えして(財)マイケルジャクソン子供基金を内閣府の肝いりで設立し会長に就く。2007年解散。
2007年(株)PPP社設立。半導体製造工場の設計と工場建設業に進出。
2016年 11月15日東京ベイクラブホテルにおいてジョージア(旧グルジョア国)国王から同国最高位の勲章を叙勲する。日本人で初めて。世界の恵まれない子供たちのために尽くした実績を評価されての受勲。

趣味:旅行
免許/資格:日、米同時、逐次通訳官
     日本国経済産業省認定免許書番号 第E-0229号(昭)41
     米国国務省嘱託契約番号:第BOA3819
     南加県人会理事
     南加香川県人会々長

 
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