知っておきたい哲学の常識─日常篇(5)
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福岡大学名誉教授 大嶋 仁 氏
真面目は危険 余裕は安全
私が嫌いなもののひとつにテロがある。「テロを好きな人などいない」というかもしれないが、そういう人は自分がテロリストでないからだ。テロリストにすれば、テロは絶対必要であり、それによって世の中は変革され、良くなるのである。
私がテロを嫌う理由は、テロリストは人を殺しておいて、それで正義を実現したと信じているからである。人を憎んだり恨んだりして殺す人は、人を殺すことで自分が歴史的英雄になるとは思いもしない。「死刑になりたいから殺した」と動機を説明する殺人犯も、無動機を宣言する殺人犯も、それによって社会を良くするとか、世界をより良いものにするとか思わない。ところが、テロリストは自らの暴力行為に大義名分を載せて、自身を正当化するのだ。
それだけではない。テロリストは集団で行動する。従って、実行犯は集団の大義名分に隠れて責任を負わない。そこには通常の殺人にはない卑劣さがともなうのである。
戦争もテロの一種である。国家的テロというべきものだ。ベトナム戦争でアメリカは「ベトナム民主化」という大義名分を掲げ、多くの兵士をつぎ込んだ。ソ連に負けないように、世界における覇権を確立するために、本音を隠して聞こえのよい動機を掲げ、枯葉剤まで使ってベトナム人のみならず、ベトナムの自然まで破壊しようとしたのである。
大日本帝国にしたって、帝国主義の争いに参入し、世界における自己証明を得ようとしたのだが、「大東亜共栄圏」なる大義名分を掲げている。動物どうしの争いにはない嘘が、人間世界で生き抜くには必要なようだ。
さて、どのようなテロ行為でも、それが可能となるのはテロリストが掲げる大義名分を信じ込む人が大勢いるからだ。これを見ると、人類とはなにかを信じたら、そのために何でもする動物のように見えてくる。自分の命まで投げ出して、人をも殺すのだから。
テロの背後には宗教がある、というのもほんとうである。そうした宗教は本物ではないというが、キリスト教徒は十字軍によって他国を侵略し、異端審問においては異端者を焚刑に処した。イスラム教徒は「聖戦」を唱えて各地に進出し、現在の中近東を制覇したのである。そういう点からすると、仏教徒は宗教の名の下にテロを行ってこなかったので、仏教のみが平和をもたらす宗教であるかに見える。
しかし、同じ仏教でも法華経の名の下にテロ行為におよんだ例もあり、簡単にそうはいえない。仏教徒も熱心になると、仏教の何たるかを忘れ、己の「正義」の実現に突っ走るのである。要は、何事につけても熱心に信じ込むと危険だということだ。
熱心に勉強する子、熱心に先生に言われたことを実践する子、つまり「真面目な子」は一見して模範的であるが、実はこわい。なんとなれば、そういう子は褒められたい、権威に認めてもらいたい一心であり、「理想」とか「正義」とかに邁進してしまうからだ。純真といえばいえるが、その無反省さがこわい。
江戸末期、井伊直弼(いい・なおすけ)という幕府の大老が暗殺された。大老といえば首相のようなもので、彼の決断で開国を迫るアメリカと日米修好通商条約が結ばれたのである。鎖国日本を開国へと舵切りした大きな決断だったが、当然ながら幕府内外から反発をくらった。そして、反対分子のテロに遭って暗殺されてしまったのである。
彼が暗殺されたのは、鎖国政策を墨守しようとする反対勢力を弾圧したからだといわれる。そうではあるが、その反対勢力に「攘夷」という強固なイデオロギーがなかったなら暗殺には至らなかった。彼らは日本国土を神聖なものとし、穢れた異人を決してそこに入れてはならないという頑なな信条をいだいていた。そのような狂信こそがテロを生んだのである。
井伊直弼は弾圧はしたが、反対派を暴殺したわけではない。国際情勢を見て、大老という地位にある者としての使命を全うしたのである。一方のテロリストたちは、自分たちの信念のみを正しいとし、その結果、大老暗殺におよんだのである。彼らは周囲の状況を見ない、「純真」で「真面目」な人々だった。
近代においても似たようなことがあった。五・一五事件や二・二六事件がそれである。この一連のテロの実行犯たちは、いずれもが真面目で純真な若者だった。やはり、真面目であること、熱心になにかを信じ込むことは、こわいことなのだ。
ナチス・ドイツにしても、ヒトラーの下に団結した若者たちは、私利私欲を捨てた、純真な心情の持ち主だったという。美徳も高ずれば悪徳に変化する、ということである。
純粋であることは主観的には美しい。わき見をしないことは前進するには必要だ。しかし、同時にそれは心に余裕がないことであり、周囲が見えていないことでもある。明治の先覚者・福沢諭吉は言った、「有徳の善人、必ずしも善をなさず。無徳の悪人、必ずしも悪をなさず」と。テロリストは得てして「有徳の善人」なのである。
(つづく)
<プロフィール>
大嶋 仁(おおしま・ひとし)
1948年生まれ、神奈川県鎌倉市出身。日本の比較文学者、福岡大学名誉教授。75年東京大学文学部倫理学科卒。80年同大学院比較文学比較文化博士課程単位取得満期退学。静岡大学講師、バルセロナ、リマ、ブエノスアイレス、パリの教壇に立った後、95年福岡大学人文学部教授に就任、2016年に退職し名誉教授に。関連キーワード
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