知っておきたい哲学の常識―日常篇(8)
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福岡大学名誉教授 大嶋 仁 氏
愛よりは礼
西洋の文化と東洋、とくに東アジアの文化のちがいのひとつは、月並みな言い方だが、前者が「愛」の文化とすれば、後者が「礼」の文化であるというちがいであろう。現代世界は西洋文化が優勢なので、「愛」が強調され「礼」は忘れられがちだが、「礼」は思いのほかに重要なのではないかと思う。
というのも、愛には一体化がつきものである。「私はあなたを愛している」(アイ・ラブ・ユー)は、欧米では恋人どうしだけでなく親子の間でも用いられるが、これは「私とあなた」は一体である、一緒であるという含みをもつ。一方の礼は、相手との距離をおき、相手への尊敬を核とする。つまり、前者は人間どうしの距離を縮めようとするが、後者はその距離を保とうとするのである。
日本でも西洋化が進むにつれて、「愛」が「礼」を上回る気配を見せている。しかし、それは表面にすぎず、実質は異なるかもしれない。というのも、数年前に香港に行ったとき、あるオーストラリア人のビジネスマンと話す機会があり、その人がこう言ったからだ。
「私は日本人とビジネスをするんだが、とにかく日本人はやりやすい。きちんと決めたことを実行するからね。もう10年以上付き合いのある福岡の会社なんか、ほんとうに私によくしてくれる。日本ではビジネスはビジネスではないんだ。」
「ビジネスがビジネスでない」とはどういうことかとその男に聞くと、「ビジネスの根底には信用ってものがなくちゃならない。その信用というものが今の世界では失われつつある。だから、ビジネスは契約書で書かれた通りにしか進行しない。ところが、日本ではまず相手を信用する。そこからビジネスが始まる。これって、相手をまず尊敬するってことなんだ。今の世界はこれを忘れている。書面しか信じない。」
この人の言うとおりなら、確かに日本ではまだ「礼」が残っている。礼は尊敬に基づき、尊敬は信用とつながるのだ。
さて、礼は東アジアのものと言ったが、西洋にも礼を重視した人がいる。日本でもよく知られている『星の王子さま』の作者、サン=テグジュペリがそうだ。このフランス作家は『星の王子さま』に一匹のキツネを登場させ、そのキツネに自分の考えを言わせている。このキツネは「星の王子」に礼の大切さを説く。
王子が初対面のキツネに「友だちになろう」ともち掛ける。するとキツネは「まだお互い知らないんだから、それはできない」と断る。そして、友だちになるには「礼」というものが必要だと教えるのだ。
そこで説かれている礼は、初めは相手と距離をおき、少しずつ近づくことが大事だというものである。つまり、親しくなる前に距離を保ち、相手を尊敬することから始めよということだ。王子のように、いきなり友だちになろうなどというのは、相手に対する敬意を欠いているとキツネは言いたかったのである。
そのキツネが王子に言ったことで印象に残るのは、「礼は現代ではすでに忘れられてしまっている」という一言だ。ここでいう現代は、近代社会と言い換えてよいかもしれない。近代化が古来の道徳の基礎にあった礼というもの、相手への尊敬というものを失わせたということだ。
なるほど、礼を重んじるはずの日本でも、「星の王子」のように無礼な子どもが増えている。先のオーストラリアのビジネスマンのいう日本人の美徳は、失われつつあるのかもしれない。というのも、子どもたちの幼い心には、「一年生になったら」といった童謡が浸透しているから。
この歌は友だちがすぐにでもできる錯覚を起こさせる。「一年生になったら、友だち100人できるかな」というのだから。友だちがそんなにすぐにできるはずはないし、誰かと友だちになろうとする前に、相手を尊敬することをまず教えるべきではないだろうか。「一年生になったら」には、将来を憂えさせる安易さ、倫理の欠如が感じられる。
日本では、それでも朝礼とか、最低限の礼儀とかを子どもたちに教えているのではないか。そのように言う人もいるだろう。しかし、そこで強調されているのは形式であって、中身ではない。孔子が言ったように、「親をただ物質的に養うだけで、敬う心が欠けていたら孝とはいえない」。その「敬う心」が失われた礼であるならば、単なる「うざい」形式に過ぎなくなるのである。
何事でもそうだが、ある習慣が形骸化してしまうと、その習慣は精神に悪い影響をおよぼす。そのような習慣を生徒に強要する教師は、「あの先公、うぜえ」となるのだ。これは生徒のしつけが悪いからではなく、教師が内容のともなわない形式を押し付けるからである。
では、どうすれば現状を改善できるのか。そこで思い出されるのが西郷隆盛の「敬天愛人」である。尊敬は人と人の関係において重要だが、その源泉は人智を超えた「天」にあるという考え方だ。この古めかしい「天」という言葉を私たちは念頭におかねばならない。天がなくては地もなく、まして私たちの存在もないのだから。
(つづく)
<プロフィール>
大嶋 仁(おおしま・ひとし)
1948年生まれ、神奈川県鎌倉市出身。日本の比較文学者、福岡大学名誉教授。75年東京大学文学部倫理学科卒。80年同大学院比較文学比較文化博士課程単位取得満期退学。静岡大学講師、バルセロナ、リマ、ブエノスアイレス、パリの教壇に立った後、95年福岡大学人文学部教授に就任、2016年に退職し名誉教授に。関連キーワード
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