孫正義氏の大恩人・元シャープ副社長佐々木正氏102歳で死去(前)
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日本の液晶開発の草分け的存在で、元シャープ副社長の佐々木正氏が1月31日、肺炎のため死去した。102歳だった。氏は人の才能を見抜くことにたけていた。無名の若き開発者だった孫正義氏を見出し、他社に断られた製品を買い付けるなど、手厚く支援したことは今も語り草だ。
初対面の孫氏が白い鬼に見えた
「佐々木先生との出会いがなければ今の私とソフトバンクはありません。私と弊社だけの恩人ではなく、日本の先端電子技術の礎を築かれた大恩人です」
ソフトバンクグループの孫正義会長兼社長は、佐々木氏の訃報に接した2月2日深夜、マスコミ各社にこんなコメントを送った。孫氏が大恩人と呼ぶのも決して大げさではない。佐々木氏との出会いがなければ、孫氏の成功はなかった。これは孫氏のビジネスの起点であった。
2014年4月28日、東京・赤坂の東洋軒で佐々木正氏の百寿を祝う集いがあった。ジャーナリストの岡村繁雄氏は、PRESIDENT(2014年8月4日号)に「孫正義から恩人へ『すべては先生との出会いから始まりました』」と題する記事を寄稿した。
この慶事を開くに当たって、孫氏はこう言ったという。これだけはほかの人に任せるわけにはいかない――と。孫氏にとって、この大恩人への感謝の集いは、何にもまして重要なことだった。孫氏が挨拶に立つ。同誌から引用する。
〈「すべては佐々木先生との出会いから始まりました。本当にありがとうございます。次は先生の130歳を祝いしたい」と、最後は声を詰まらせて語りかけたのだ。
ある出席者は、そのとき孫の涙を見たという。だが、佐々木の見方は違った。
「僕にはあれが、孫さんの“気魄”そのものに見えたのです。人の内側から発するエネルギーは目に出る。もう30数年前のことですが、あのときもそうでした。いまでも鮮明に覚えています」
佐々木が「あのとき」と振り返るのは1977年夏の出来事である。孫がカリフォルニア大学バークレー校在学中に共同開発した「音声機能付き電子翻訳機」のサンプルを携え、奈良県天理市にあるシャープ中央研究所を訪ねてきたのだ。
「まだ少年の面影を残した彼が、アイデアを買ってほしいと売り込みにきたんです。説明の最中も、目の輝きが異様に鋭い。『これはただものではない』と感じました。私は英語版の翻訳機の研究開発費として2,000万円出すことを即決しました。国連の公用語は8カ国語ある(当時)ので、英語版が完成したら他国版も手がけなさい。合計1億6,000万円があるとアドバイスしたのです」
佐々木には、真剣に話し、聞く孫の顔が白い鬼のように見えたという。気魄の“魄”である。〉(つづく)
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