核心の夫婦愛~貴方には真似できないであろう
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公職活動から完全に身を退く
Aはある業界で頂点に君臨する企業の創業者である。しかし、そういう彼も、会社設立当時には悪戦苦闘する時期があった。設立3年目にして資金ショート寸前に陥ったのである。急場をしのげたのは奥さんの実家からの資金援助があったからである。総額1億円にのぼる資金を援助してもらったと聞く。それから3年ほど後、つまり設立7年目あたりから、お客が集まり出した。ブランドが急速に確立されていった。Aは妻に深い深い恩義を抱いた。妻は長年、経理担当として会社の発展に貢献した。
Aは種々のパーティに参加するとき、必ず奥さんと同伴で参加した。筆者もいろいろな会で彼女にお目にかかったものである。ところが、10年ほど前からだったか、言動に「おかしいな」と感じ取ることが増えた。おそらく痴ほうの前兆だっただろう、いずれにせよ、Aは愛する妻を入院させた。業界視察をご一緒したとき、Aは病院の妻に対する看護のやりかたについて、不信感を漏らしていた。「あんなに心の欠片もない、気持ちのこもっていない扱いをされたら、妻は殺される」と怒っていた。
3年間の入院を経て奥さんを自宅へ戻した。自宅療養に切り替えたのだ。介護・看護の専門家たちをローテーションで自宅に招く。それでもAの不安は募る一方。ついに「自分の手で妻の看病をしなければ」という結論に達した。「俺が24時間、妻を看て守る」と決意したのである。すべての公職を潔く辞めた。Aと会わなくなって2年ほどになる。奥さんはまだ存命のようである。
2カ月添い寝で見送りする
Bとの付き合いは40年くらいになる。機械の開発で2週間、不眠不休で取り組み、めざましい成果を挙げた記録もある。最近の業績は10億円の経常利益を持続している。奥さんは年上で、事業の下支えを引き受けてくれていた。だからこそBは開発に注力できたのだ。ところが7年前から記憶障害が出始めた。当初は体力があるぶん、あちこち徘徊しては帰宅できなくなるという状況もしばしば生じた。そこでBは、妻を昼間はデイサービスへ通わせるようにした。彼女はそこで仲間から好かれ、尊敬されてリーダー役にもなった。しかし、体力の衰えとともに、彼女は入院を余儀なくされた。
入院から1カ月が経過したころだったか、見舞いに行ったときのこと。病室に本人の姿がみえないではないか。「看護師さんに付き添われ、車椅子で病内を回っているのかもしれない」と思い、院内を探して回ったところ、果たして彼女の車椅子を見つけた。周囲には誰もいない。15分してようやく看護師が姿を現した。頭にきたBは病院側に猛然と抗議した。「意識のない妻を、私が把握しているだけでも15分間、放置しているとは何事か!」と。病院側は悪びれる様子もない。Bは「これでは妻を守れない」と危機感を抱いた。
そこでBは、妻を評判のよい医療付介護ホームに入居させた。たまたま二部屋のところが空いていたのでそれを契約。Bは毎日、そこを宿にして会社に通うようになった。だが、Bの想いとは裏腹に、妻の容態は日々悪くなっていく。永眠の1カ月前からは、それこそ毎晩、痰切さえも、Bが自分の手で妻を介護した。妻を天に送り出したBは、当時のことを振り返ってこう語る。
「初めての経験だった。あの世へ飛びたつか、この世に立ち止まるかのはざまにあって、妻が必死に格闘する姿には本当に驚いた。個々の人間にとって『生』とは、かくまで壮絶なことであったのだ。2カ月の添い寝と見送りで妻に恩返しできたとは思わないが、私としては悔いはない。」
読者諸兄におかれては、わが2人の友人が妻に対してなしたほどの、崇高な介護ができるだろうか。筆者にはできない。
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