2024年12月23日( 月 )

松竹と市川猿之助の騒動 歌舞伎と映画の赤字を不動産で支える同族経営(後)

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 6月は株主総会の季節である。注目された株主総会の1つに、歌舞伎・映画の名門、松竹(株)(東証プライム、東京都中央区)がある。総会は経済記者の出番だが、松竹は違った。芸能記者が多数つめかけた。歌舞伎界の人気者、市川猿之助騒動に、勧進元である松竹がいかに言及するかを取材するためだ。

トラブルが絶えぬ創業家の家系

歌舞伎座タワー イメージ    竹次郎の生きざまがドラマ仕立てだったせいではあるまいが子孫にはトラブルが絶えない。

 竹次郎の息子で8代目社長・隆三は1984(昭和59)年、酒に酔って自宅に放火し、お手伝いさんを死亡させる事件を起こし、社長を辞任した。

 隆三の”乱心”の理由については諸説ある。隆三は妻を亡くして以来、淋しさからか、酒浸りの日々を送っていた。隆三の息子の信義(のち11代社長)が、入院した折に親しくなった看護師と結婚したいと言い出し、その怒りが鬱積して、自宅に火を付けるに至ったという、見てきたような風説もある。

 看護師との結婚は、松竹映画の大ヒット作『愛染かつら』を地で行くようなものだったから、映画・演劇業界で話題になった。隆三は結婚したいと言い募る息子に「家柄が違う」と言って反対した。

 これを聞いて、竹次郎の養子、城戸四郎(4代、7代社長)は「家柄ねェ~」と笑ったというのだ。隆三は真宗大谷派の娘と結婚して、天皇家の遠縁にはなってはいたが、もともとは興行主の家系である。

 この事件が起こったため、大谷一族以外から初めて、演劇(歌舞伎)畑の永山武臣が9代社長の椅子に座った。永山は、ワンポイントリリーフとして、大谷家にバトンタッチする考えだったが、後継者の信義が1987(昭和62)年、自宅マンションで暴漢に襲われ、裸の姿を写真に撮られるという奇怪な事件が起きた。父と子がわずか3年の間に、次々と世間を騒がせたわけだ。そのため、信義は社長になれず、10代社長には非同族の奥山融が就いた。

非同族社長を追い落とすクーデターで創業家へ大政奉還

 1998(平成10)年1月、松竹で社長と専務の解任劇が起きた。非同族の奥山融社長、和由専務父子が映画の製作、興行の不振の責任を問われた。専務の和由が特定の女優を寵愛していたとか、ゴリ押しをして、ヒットしそうもない企画を通したなどと、映画業界内にまことしやかな噂が飛び交った。

 このときは、創業家の信義専務(当時)が2人の解任動議を提出。奥山派といわれた役員たちも賛成にまわり、社長の奥山は子飼いと思っていた役員が挙手するのを見て「お前もか」と絶句したという。

 専務の和由は「まるで映画を見ているようだった」と直後に述べている。仕掛けたほうは、弁護士によるシナリオを基に、緊急動議から採決までをリハーサルをして臨んだといわれている。

 これにより、創業家直系の信義が晴れて11代社長に就任した。クーデターによる大谷家への大政奉還だった。

今年、19年ぶりにトップ交代

 時代は移る。2023年5月23日の松竹の定時株主総会で、19年ぶりにトップが交代した。12代社長の迫本淳一は、代表権のある会長に就き、後任の13代社長には専務の高橋敏弘が昇格した。松竹創業者の1人である大谷竹次郎の孫で、会長の大谷信義は取締役名誉会長に退いた。

 迫本は松竹映画の黄金時代を築いた城戸四郎の孫。1998年のクーデターで、弁護士から松竹副社長に転じ、大船撮影所を売却するなど、経営難だった松竹の立て直しに奔走。2004年に信義の後任として12代社長に就いた。以来、長期政権下で、「歌舞伎座」の建替えなと不動産事業に注力した。

 2023年2月期の連結決算は、最終利益は54億円の黒字(前期は17億円の赤字)に転換した。しかし、手放しで喜べない。黒字化は「歌舞伎座タワー」や「銀座松竹スクエア」などの不動産事業が50億円の営業利益を稼いだことで達成できた。映画を中心とする映像事業は13億円の営業赤字、歌舞伎の演劇事業は10億円の営業赤字。映画と歌舞伎という、松竹の2本の大黒柱は水面下に沈んだままだ。

 松竹にかぎらず、どの映画会社もアニメ以外に栄華の面影はない。松竹としては、市川猿之助騒動で、にわかに脚光を浴びている歌舞伎で、ひと花もふた花も咲かせたいところだろう。

(了)

【森村 和男】

(前)

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