【追悼文】アーム・レポ代表田中浩和氏 逃げなかった壮絶なビジネス人生
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一夜にして容態急変
分譲マンション企画販売の(株)アーム・レポ代表取締役・田中浩和氏が6月24日未明の午前4時、突然の血圧急降下に襲われて亡くなられた。62歳であった。病院側からは「病気が小康状態であるから明日退院してよい」という許可を得ていた。ところが23日夜半から血圧が異常に低下し、命取りになった。関係者は訃報を聞いて茫然自失とした。
田中氏が長年にわたり、癌との闘病生活を送ってきたことは業界では周知のことであった。筆者は2月、ある会社の周年パーティでお会いした。田中氏は声帯を痛めているため発声が困難という状況にありながらも、身振り手振りを交えて話してくれた。
同氏も新生住宅OBである。22歳で入社し、27歳のとき、1987年11月にアーム・レポを設立した。
若手経営者の見本
田中氏は生まれも育ちも生粋の博多っ子、逃げ隠れもせずに有言実行するタイプであった。だから若手経営者たちから「兄貴分」として尊敬され慕われてきた。何よりも昭和時代に会社を設立していたことが信用の背景となっていた。設立当初は販売代理でスタートしたが、地力をつけ始めてからは自社ブランドのマンション事業に転換していった。デザインに富んだマンションシリーズには顧客がついた。業界における中堅企業としての基盤を築いたのであった。
天神プレイスへ挑戦
平成バブルの難は免れたが、若い経営者にありがちな「業界の天下取り」に野心を燃やすことは世の常。経営を続けているうちに「儲け」に加えて「名」も求めるようになる。中央区今泉に夕刊フクニチ(フクニチ新聞)の社屋跡地があった。これを業界の雄である東峰住宅産業が買収した。しかし、不動産投資が荷重で行き詰った。これを見て田中氏は、「名声を挙げる千歳一遇のチャンス」と決断した。
筆者は田中氏に苦言を呈したことがある。同不動産は購入できない定期賃借権の取引であったことから、その危うさを指摘したのであった。しかし、建設は着工された。
やずやの関連事業成功の功労者
2008年リーマン・ショックの襲来で会社の経営危機が迫ってきた。そのとき、田中氏から相談を受けた。当時、一世を風靡していたアーサーホーム代表の山本氏は(株)やずやの幹部として招請されていた。3人で3回ほど打ち合わせした結果、同社がこの「天神プレイス事業」を買収して継続することに決まった。やずやが値切らずにきれいに買収したことは称賛に価する。また、ここから同社の経営多角化が本格化していったのである。その点では、天神プレイスを用意した田中氏はやずやの恩人ともいえる。
長期にわたる癌との闘病生活
10年代の半ばを過ぎて田中氏の健康状態がしばしば話題に上るようになった。癌との闘病である。本人は凄まじい精神力で戦い続けた。「負けてたまるか!」という雄叫びをよく聞かされてきたものである。田中氏の業界における功績は、若手の見本として「業界に世の中の常識を浸透させたこと」であろう。
合掌
法人名
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