2024年11月22日( 金 )

売上高1兆5,000億円超、近鉄グループの概要(中)

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運輸評論家 堀内 重人

 (株)近鉄グループホールディングス(以下、近鉄GHD)は、大手私鉄の(株)近畿日本鉄道(以下、近鉄)、(株)近鉄百貨店、(株)近鉄エクスプレス、近畿日本ツーリスト(株)などを中核とする、近鉄グループの持株会社である。

 2015年4月1日付けで旧近鉄を近鉄GHDに社名変更したうえで、鉄軌道事業を新生の近鉄に、不動産事業を近鉄不動産に、ホテル・旅館事業を近鉄ホテルシステムズ(同日付で近鉄・都ホテルズに社名変更)、流通事業を近鉄リテーリングに、それぞれ分割し、純粋持株会社に移行した。

 23年3月期の連結決算は、22年の近鉄エクスプレスの連結子会社化により、売上高が1兆5,610億円であり、純利益が887億円であった。この売上などは、JR西日本、近鉄GHD、阪急阪神ホールディングス、京阪ホールディングス、南海電気鉄道の関西大手民鉄5社のなかで首位になった。

 本稿では、近鉄グループの中核となる鉄道事業、不動産事業と百貨店を含めた流通事業について解説した後、全体の総括を行いたい。

流通事業(1):近鉄百貨店

 近鉄グループの主要企業である近鉄百貨店は、1920年に京都市で創業した百貨店「丸物」(まるぶつ)をルーツとする旧京都近鉄百貨店と、近鉄が直営する百貨店部門から分離して、発展した旧近鉄百貨店に分かれる。

 本稿では、近鉄の前身である大阪電気軌道道時代から、直営で開業した上本町店と、旧大阪鉄道(現・南大阪線)の子会社で開店したあべのハルカス近鉄本店を基幹としている。 72年3月14日に大和西大寺駅の近くに、奈良店が開業した後、同年6月1日には近鉄の百貨店部から独立して、近鉄百貨店となった。

 大手民鉄の多くが、百貨店事業を展開しているが、たとえば、九州を拠点に鉄道事業などを展開する西日本鉄道は、直営や子会社の形態として百貨店事業は展開していないが、北九州で百貨店を展開する井筒屋の株式の9.2%を保有している。また生鮮食品や日用品を扱う「西鉄ストア」を展開している。

 近鉄に話を戻すと、近鉄の直営だった百貨店部門とは別に、近鉄グループは60年6月15日には四日市近鉄百貨店を開業した以外に、別府市で58年開業の中村百貨店を買収して、60年9月に別府近鉄会館として開業させ、その後に別府近鉄百貨店とした。60年4月にスーパーとして開業した和歌山近鉄ストアは、63年に百貨店化して和歌山近鉄百貨店を開業させるなど、別会社方式で沿線以外への進出を行っていた。

 これらの出店に続いて、74年5月には同様に首都圏第1号店として東京・吉祥寺に東京近鉄百貨店(83年直営化)を出店した。近鉄百貨店が、都心部ではない吉祥寺に出店した理由は、東京は大阪よりも情報化が進んでいたため、人材育成の拠点として活用するだけでなく、将来的には首都圏でさらなる事業展開も検討したことが挙げられる。

 77年に丸物が京都近鉄百貨店と改称して以降、近鉄百貨店を中心に各百貨店や(株)近商ストアを合わせて近鉄流通グループと呼ばれるようになった。ニチイ(後のマイカル)が大和八木駅へ、ジャスコ(現・イオン)が西大寺や生駒などの近鉄沿線へ出店してきたため、それに対抗する戦略から事業拡大を狙うことになった。

 近鉄の鉄道事業の本社は、上本町にあるが、近鉄百貨店はあべのハルカス近鉄本店であり、本社も阿倍野区にある。現あべのハルカス近鉄本店も、88年11月1日に増床が実現して、当時の阪急百貨店大阪・うめだ本店を超える西日本最大の百貨店になった。売場には大阪府のパスポートセンターなどを入居した旅行館や、パリの16区にある「コクラン・エネ」のフランチャイズ店などを入居させるなど、梅田や難波から上本町地区の百貨店として差別化を図った。

 その他近鉄百貨店も、CIの導入やロゴマークの変更、大規模な流通センターの建設など、大規模な投資を進めている。

写真3:あべのハルカス
写真3:あべのハルカス

    2013年6月12日までは、「近鉄百貨店阿倍野店」と呼ばれていた。当時はいまだあべのハルカス(写真3)は全面的には完成していなかったが、タワー館の開業にともない、翌日から「あべのハルカス近鉄本店」に統一した。これは、あべのハルカスの中核施設であり、かつ近鉄百貨店や近商ストアなどを含め、近鉄流通グループの旗艦店であることを、強く印象付ける目的からである。

 あべのハルカスの全面開業は、14年3月7日であり、あべのハルカス近鉄本店、大阪マリオット都ホテルなどを内包する、複合商業ビルである。

(つづく)

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