出口の見えないウクライナ戦争-東アジアにおよぼす影響(前)
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防衛研究所
研究幹事 兵頭 慎治 氏ロシアがウクライナに侵攻して500日以上が経過した。停戦に向けた動きはみられず、戦争のさらなる長期化が懸念される。ウクライナ戦争に端を発した世界的なインフレや国際社会の分断は続き、欧米と対立を深めるロシアが中国に接近する動きが強まっている。欧米諸国から兵器支援を受けるウクライナ側は、ロシア軍による占領地域の奪還に向けた反転攻勢の動きを見せており、戦闘はさらに激しさを増す恐れがある。長期化の様相を呈するウクライナ戦争は、日本を含めた東アジアの安全保障にどのような影響をおよぼすであろうか。
ウクライナ侵略はなぜ起こったのか
2021年10月末より、ロシアはウクライナ国境付近に10万人以上の兵力を集結させ、米国や北大西洋条約機構(NATO)に対して、NATO不拡大の法的保証などを要求した。結果的に両者間の交渉決裂し、プーチン大統領は軍事侵略という最悪のシナリオを決断した。一見、この外交交渉がうまくいけば侵略が回避されたかのように見えるが、ロシア側の要求は米国・NATOが決して受け入れることができないものであり、最初から交渉決裂を侵略の口実に利用しようとしたのではないかと思われる。つまり、外交交渉でウクライナ侵略を抑止することはできなかったのである。
私を含めた内外の多くの識者は、プーチン大統領が大規模な侵略という非合理な決断を行う可能性はそれほど高くないと予想していた。なぜなら、十数万の限られた兵力でウクライナ全土を軍事制圧することは難しく、国際社会での孤立や制裁など政治的な損失も計り知れないからである。残念ながら、悪い意味でその予想は外れてしまった。外部の観察者が計算する損得勘定は、プーチン大統領には通じなかったのである。
一般市民への容赦ない攻撃や核使用を示唆するたびたびの発言など、当初、プーチン大統領は理性を欠いたとの見方も指摘されたが、本人は必ずしも非合理な主体ではない。なぜなら、プーチン大統領には独自の内在的論理があるからだ。まず、ロシアが「影響圏」とみなす旧ソ連地域に、ロシアが敵視する米国率いる軍事同盟NATOが拡大することは容認できない。しかも、プーチン大統領は、21年7月に明らかにした論文のなかで、ロシア、ベラルーシおよびウクライナは同一の政治空間にあるべきと主張していた。冷戦時代から続く米国に対する強い被害妄想と、ウクライナはロシアの保護下にあるべきという偏狭な歴史認識が折り重なり、外部からは非合理に見えるロジックがプーチンの頭のなかで出来上がった。
14年のクリミア侵略と22年のウクライナ全土侵略には、ロシアから見るとある共通点がある。それは、当時のオバマ大統領と現在のバイデン大統領のそれぞれが、ロシアが侵略しても米国は直接介入しないと早い段階で宣言した点である。「世界の警察官」は辞めたとする米国にとって、同盟国ではないウクライナを防衛する義務はない。もし、「軍事オプションを含めてあらゆる選択肢がある」とあいまいな姿勢を示していれば、プーチン大統領が2回の侵略を躊躇した可能性はあるだろう。
ロシア・ウクライナ戦争は消耗戦に
プーチン大統領は開戦当初、ロシアが軍事侵攻の構えさえ見せれば、ゼレンスキー大統領は逃亡または拘束され、ウクライナ軍も即座に屈服し、ウクライナ全体をロシア寄りの政体に変えることが可能であると、極めて甘い見通しをもっていた。そのため、ロシア軍による軍事作戦も2週間程度しか策定されず、長期戦を想定した補給態勢も整えていなかった。何よりも、十数万人程度の兵力で、ウクライナ全土を軍事制圧することに無理があった。あれから1年以上が経過するが、プーチン大統領の戦争目的は達せられないまま、戦争の被害だけが拡大している。
ウクライナ戦争は、犠牲の規模や戦線の広さからして、第二次大戦以降、欧州における最悪の侵略戦争となった。米国によると、ロシア軍の死傷者は最大20万人以上、ウクライナ軍の死傷者は10万人以上に達しているという。人口約4,000万人のウクライナから800万人以上が国外に逃れ、国内の避難民も500万人以上にのぼる。さらに、ロシアに強制移住させられたウクライナ人も、国連の推計で120万人以上におよび、子どもの連れ去り問題で国際刑事裁判所(ICC)はプーチン大統領に逮捕状を出した。
ウクライナ軍は、欧米諸国から戦車や長射程ミサイルなどの供与を受けて、ロシア占領地域の本格的な奪還作戦を行う構えである。ウクライナ領の約2割がいまだロシアの支配下に置かれていることから、ゼレンスキー政権は、ロシアが一方的に「併合」を宣言した東部、南部の4州に加えて、クリミア半島の奪還まで目指している。そのため、ゼレンスキー大統領は欧米諸国に対して軍事支援のさらなる強化を訴え、年明けの戦車に続いて、米国のF-16戦闘機の供与を望んでいる。
他方、ロシア側は、憲法修正により占領した東部、南部の4州を自国領と位置付け、核使用を含めてあらゆる自衛手段を講じると表明している。自国の核戦力を増強し、同盟国であるベラルーシに戦術核の配備を決めるなど、核使用を示唆する姿勢を強めている。さらに、契約軍人による徴兵を強化し、占領地域で防衛線を固めるなど、ウクライナ側の反転攻勢に対抗している。戦況は秋に地面がぬかるむまでのこの夏場が焦点となるであろう。
懸念される戦争のエスカレート
5月3日、プーチン大統領の執務室のあるクレムリン上空で無人機2機の爆破事件が起き、その後もモスクワ近郊などでドローン攻撃が続いている。さらに、5月22日には、ロシア西部のベルゴロド州内にウクライナ領内からの地上侵攻があり、ロシア政府は70人以上のテロリストを殺害したと主張した。この侵攻に関しては、ウクライナ軍とともに戦闘に参加する2つのロシア人義勇兵組織が犯行声明を出した。ウクライナ軍による反転攻勢を行う前のタイミングであったことから、ロシア領内に侵攻することでロシア国内やプーチン政権を揺さぶり、ロシア軍を前線の戦闘から国境防衛に引き付ける狙いがあるものと思われる。
このようにウクライナ戦争は、戦場がウクライナの戦闘地域からロシア領内にも拡大し、ロシア人義勇兵組織や民間軍事会社の部隊など、正規軍以外の武装勢力が入り乱れるかたちで複雑に展開しつつある。そのため、ゼレンスキー大統領とプーチン大統領が完全にコントロールできないかたちで、事態が不測にエスカレートすることが懸念される。昨年11月にはロシア製ミサイルがNATO加盟国のポーランドに着弾し、今年3月には黒海上空で米軍無人機がロシア軍戦闘機と接触して墜落する事件も発生した。戦闘が長期化すれば、第3国が巻き込まれるリスクも相対的に高まるのである。
両者とも、現状追認で停戦合意にいたることは容易ではないだろう。消耗戦で両軍が疲弊して、一時的に交戦が下火になったとしても、正規軍以外のさまざまな武装勢力が存在することから、散発的な戦闘が続いていく可能性が高い。また、プーチン大統領は、戦争が長期化することで、欧米諸国に支援疲れや戦争への関心低下が広まることを期待している。侵攻する1カ国の判断で戦争を始めることは容易であるが、戦争を終わらせるのには侵攻される側も含めて2カ国の合意が必要であり、それは容易ではない。
(つづく)
<プロフィール>
兵頭 慎治(ひょうどう・しんじ)
1968年愛媛県生まれ。94年に上智大学大学院博士前期課程修了、防衛研究所入所。防衛研究所主任研究員などを経て、2023年4月から研究幹事を務める。1996 年~98年、外務省専門調査員(在ロシア日本国大使館)、2001~03年、内閣官房副長官補付内閣参事官補佐を務めた。関連キーワード
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