2024年12月26日( 木 )

宇都宮ライトレールの開業と今後の課題(前)

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運輸評論家 堀内 重人

宇都宮ライトレールHPより
宇都宮ライトレールHPより

 2023年8月26日に、日本でまったくの新規に線路を敷設したLRTが、宇都宮市で開業した。区間は、宇都宮駅東口から芳賀・高根沢工業団地間の14.6kmの区間である。
 LRTが導入されるまでの紆余曲折などを紹介した後、開業後の現状と今後の課題について、言及したい。

構想の背景

 宇都宮市の東部地域では、内陸型工業団地である平出工業団地や清原工業団地だけでなく、芳賀郡芳賀町や真岡市などでも、大規模な工業団地が造成された。それによって宇都宮市の東側に向かう人流や物流が増加するが、それらの人や物の流れが自動車に依存し、交通渋滞が深刻化していた。

 宇都宮市には、東北本線や東武鉄道の宇都宮線は南北に貫く鉄道が存在している。市内を西方面に向かう路線としては、強いていえば日光線があるが、真西ではなく北西である。しかし、市内を東西に貫く鉄道や路面電車は一度も存在したことがない。また、宇都宮市の中心市街地が存在する宇都宮駅の西側へは路線バスが多く運行されるが、東側には関してはバスも含め公共交通が脆弱であった。

 そんな中、東部地域への公共交通の脆弱さを根本的に解決し、宇都宮市内を東西に貫く新たな鉄軌道を建設するという、「新交通システム構想」が生まれた。

新交通システム構想

 新交通システム事業のルーツは1987年に遡る。当時の宇都宮市では、宇都宮駅東側の区画整理が進展し、また駅東口の整備が進行していた。そこで宇都宮駅を挟んだ東西方向の交通手段が検討され始めた。

 同年8月11日に、当時の宇都宮市長・増山道保の定例記者会見が行われ、そのなかで宇都宮駅の東西を結ぶ都市計画道路の建設、モノレールなどの新交通システムの整備、JR東北本線の高架化などの案を示した。また市と栃木県、当時の建設省、JR東日本、国鉄清算事業団の5者で検討委員会を発足させた。今後5年ほどかけて計画を方向づけ、全体で10年をメドに事業を進めたい旨も示した。

 LRT事業の前身である「新交通システム構想」が持ち上がったのは、93年1月である。当時の栃木県知事・渡辺文雄が、宇都宮市東部の渋滞対策として、新交通システムの整備を図る方針を示した。同年4月には、「新交通システム研究会」が設置。宇都宮市の交通渋滞の解消や、東部に点在する工業団地との交通アクセス強化を目的とした、新たな軌道系交通システムの検討を始めた。だが、当時は「次世代型路面電車」としてのLRTは存在せず、モノレールなどが候補に挙がっていた。

 この構想が初めて公になるのは93年11月1日である。栃木県公館で行われた真岡市の市民代表との広聴事業「こんにちは知事さん」で、渡辺知事がJR宇都宮駅東口から清原工業団地間の約10kmに、新交通システムを試験的に導入したい旨を明かした。当該区間の試験導入に限定した理由には以下のようなものがあった。

(1)    初期投資額を少なく抑えたい
(2)    宇都宮テクノポリス地区の建設促進に役立つ

 だが最大の課題は、建設費を賄えるほどの需要が見込めるかであった。また知事は、清原工業団地まで整備した後、利用者が多ければ、真岡市への延伸を図りたいと考えていた。

 94年1月4日に渡辺知事は、栃木県公館で新春記者会見を行い、新交通システムの方式は、より低廉な費用で導入可能な公共交通機関を考えていると述べた。

 その後、「新交通システム研究会」での調査研究を経て、97年度中に市街地開発組合に市と県、交通事業者などが加わった「新交通システム検討委員会(初代)」が設置。国内外への視察なども踏まえたうえで、新交通システム整備の在り方を議論することになった。

次世代型路面電車(LRT)導入へ

 宇都宮の新交通システムにLRTを導入する際にモデルとなったのは、フランスのストラスブールのLRTである。この都市も道路交通渋滞に悩まされていたが、クルマ社会を温存したままで、ミニ地下鉄を導入するか、中心部から自動車を排除して、低床式のLRTを導入するかが、選挙の争点となった。社会党系のカトリーヌ・トロットマンという女性市長が誕生したことにより、市中心部の自動車を排除して、低床式のLRTが導入された経緯がある。

 栃木県、宇都宮市などによる新交通システム検討委員会は、2001年4月、鬼怒川左岸地域とJR宇都宮駅を結ぶ新交通システムについて、3ルートに絞ったうえで、次世代型の路面電車(LRT)を導入する方針を固めた。当時の日本では、ようやく豊橋市で、駅前まで路面電車の延伸工事が実施されたり、富山市ではJR富山港線を、富山ライトレールに転換する話が始まった時期であり、まったく新規に鉄軌道を導入するのは前例がなかった。

 途中の停留所は、12~15カ所を想定し、結節点から路線バス、自動車、自転車などと接続させることも案に盛り込んだ。

 そして新交通システム検討委員会で検討されたLRT導入に関わる基本構想に基づき、01年から02年にかけて「新交通システム導入基本計画策定調査」が行われ、導入ルートが決定した。

(つづく)

(中)

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