2024年12月26日( 木 )

宗教と政治の“もたれ合い”の構図 ~「統一教会問題」のトホホな実相(後)

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雑誌『宗教問題』編集長
小川 寛大 氏

 昨年7月の安倍元首相の殺害事件は、「宗教と政治」という古典的テーマに対する関心を多くの人々のうちに呼び覚ました。実行犯(とされる人物)が隣国の新興宗教の信者一家の出であり、さらには我が国の政治家がこれと取り結んできた癒着関係が明るみに出たことで、「主権国家・日本」とは虚像であったかと皆が愕然としたからだ。だが、この一件が提起する問題はそこにとどまらない。これが暴露したのは、自身ではもはや人々を惹きつけ世を切り拓く力をもたず、互いが互いの権威を借りることで組織の存続そのものに汲々としている「節操のない」、すなわち、美学を捨てた人間たちの、哀れな姿ではなかったか。『宗教問題』編集長・小川寛大氏が現代日本社会の病理に迫る(文中敬称略)。

事の本質は“節操なきもたれあい”

 「僕ね、宗教に5つ入っているんだよ」──関東地方のある地方議員・Dは、あっけらかんとした顔でそういう。

 彼の住む町は、いわゆるベッドタウンとして知られる郊外の新興住宅地。統計上、近年住民は増え続けているが、都心の職場から「寝に帰る」ような人々ばかりで、郷土愛のようなものは持ち合わせておらず、地方選挙の投票率は30%台ということも普通だ。

「タワーマンションに政策を書いたビラを配りに行くんだけど、内部にはゲートがあって入れず、郵便ポストに投函するだけ。町内会に入っているわけでもないそうした住民に向けてビラを配ってみても、正直手ごたえはない。しかし、宗教団体に挨拶に行くとがらりと違う。みんな熱心に話を聞いてくれるし、選挙も手伝ってくれる。はっきり言って、僕のなかに信仰心はない。失礼なことをしている自覚もあります。でも、僕だってこういう町で票を集めなきゃいけないわけだから…」(D)

 旧統一教会ととくに濃密な接点をもっている政治家として、昨年以降、メディアでしばしば名前が上がる人物などの1人に、下村博文・自民党衆議院議員がいる。彼が過去、旧統一教会が開いた行事に出席したり、教団機関紙に登場したりしたことがあるのはまったくの事実であり、“ズブズブ”と言われても仕方ない政治家だ。しかし、下村はまた同時に神道政治連盟国会議員懇談会のメンバーであり、新宗教団体・崇教真光とも親密だと過去に報道されたことのある人物で、かつ、選挙の際には公明党の推薦を受けて戦っている。こうなると、問うべきは「下村は旧統一教会とズブズブである」ということではなく、「下村はいったい何の宗教を信仰している人物なのか」ではないかと思ってしまうのは、はたして筆者だけであろうか。

雑誌『宗教問題』編集長 小川寛大 氏
雑誌『宗教問題』編集長
小川 寛大 氏

    そのほか、いちいち名前は列挙しないが、「旧統一教会と親しい」と言われている政治家の来歴をたどっていくと、下村と同様、旧統一教会以外の宗教との交流も多種多様に浮かび上がってくる人物が少なくない。はたしてこれで、彼らが特定宗教に「洗脳されている」などといったことがあるのだろうかと、逆に疑問に思えてくるほどであり、むしろ問われるべきは、「宗教に5つ入っている」とあっけらかんと言ってしまえるような、彼らの節操のなさなのではないのか。

 しかし、宗教団体の側に、その政治家たちの節操のなさを怒るような気配は見られない。なぜならば、彼らはいま(ほかの団体に比べればマシとはいえ)確実に衰退していっているからである。すでに見たように、多くの宗教団体に現在、強烈なカリスマはいない。ゆえに彼らは安倍元首相らに近づき、「我々はこういう有力政治家とも関係がある団体なのです」と教団機関紙などで信者たちに示す。つまり、政治家という“外部のカリスマ”に頼って、何とか組織の体裁を維持しているというのが、偽らざる実態なのだ。

 そういう政治家と宗教団体との“節操なきもたれあい”のなかで、多くの金銭被害や人権侵害が起こっているという現実は、まさに「末法の世」の感がある。

(了)


<プロフィール>
小川 寛大
(おがわ・かんだい)
1979年、熊本県生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業。宗教業界紙『中外日報』記者を経て、2014年に宗教専門誌『宗教問題』編集委員、15年に同誌編集長に就任。著書に『創価学会は復活する!?』(ビジネス社、共著)、『南北戦争―アメリカを二つに裂いた内戦』(中央公論新社)など。 

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