愛する子どもを配偶者に連れ去られた(1)無法地帯化される「家庭内の問題」
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ある日、仕事から帰ると、もはや愛する子どもに会えなくなっているとしたら。その日からあなたはどうなるだろうか?
夫婦の関係が難しくなったとき、ふたりは別々の人生を歩むという選択肢をとることができる。だが、夫婦に子どもがいる場合、子どもたちは別れることになった両親のうち誰と暮らすことになるのだろう。子どもを愛している親ならば、子どもと離れたくない、自分こそ一緒に暮らしたいと思うかもしれない。では、子どもが普段はどちらの親と一緒に暮らし、もう1人の別居親とはときどき会うというようなルールは、誰が決めるのか。子どもの成長のためには、普段は一緒に暮らしていない別居親とも継続的に関係を維持することが好ましい場合も考えられる。よって子どもの成育の観点も十分に考慮して、子どもと別居親との面会交流は決定されるべきだろう。
日本は法治国家である。日本国憲法は基本的な人権の尊重を定めており、そのもとで法律が制定されている。そして争いが起これば、裁判で公正な判断が下される。
だが、もはや関係を続けることができなくなった夫婦の片方が、自分の希望を強引に実現するために勝手に子どもを連れ去ったとき、日本は法治国家として子どもを奪われたもうひとりの親の権利を守るのだろうか。また、両親の離婚によって、子が一方の親としか日常生活をともにしなくなったとき、その子の健全な成育の観点から、別居親と交流する機会は保障されるのだろうか。
答えは否である。
「実子を連れ去った者勝ち」の現状
子を奪われた親たちの怒りと悲しみ片親が実子を一方的に連れ去ったとき、連れ去った親の胸三寸で、別居親と子どもを会わせることも二度と会わせないこともできるのが、日本の現状だ。そこには実質、法の保護などないがごとくである。
また、強引に我が子を奪われた親が「子どもが連れ去られた」と公的機関に訴えた場合、警察は「民事不介入」を盾に耳を貸さないことが多い。子を奪われた親が未成年者略取誘拐罪で告訴状を提出しても、受け取りを拒む場合があり、たとえ警察が受理しても、多くが不起訴となる。日本の警察も検察も、実子誘拐を「家庭内の問題」として野放しにしている。
ところが、子どもを奪われた親が、一目でも我が子の姿を見たいと思って、学校の前で待ち伏せたり、子どもらが暮らす家の近くに行ったりすると、ストーカー規制法などで警察が警告を発することがある。
そして、親権者を指定するに際して裁判所は、連れ去られた子どもの養育状況に問題がない場合、そのまま引き続き養育するのが望ましいと判断する。いわゆる「継続性の原則」である。
要するに、日本では実子を連れ去った者勝ちである。実子の連れ去りは日本では法の埒外となっており、それを利用したいわゆる「実子誘拐ビジネス」が存在し、司法の限界をよく知る弁護士らにより指南されている現状がうかがわれる。
我が子に一目でも会いたいために、子どもとの面会交流の機会を数カ月に一度でも得るために、子を奪われた親は一日千秋の思いでその機会を待つ。しかし、連れ去った親はその約束を簡単に反故にすることができる。司法は子を奪われた親をまったく助けてくれない。まるで、奪われた方が一方的に我慢すれば、それですべてが丸く収まるとでも言わんばかりに、苦しみを一方的に押し付ける構造が日本にはある。子を奪われた親は、僅かな希望を、連れ去った親にもてあそばれ、司法にも見放され、絶望してしまう。
子供に接する権利は100対0か
子を連れ去った親と、子を奪われた親の絶望的落差今回、3人の当事者に話をうかがった。愛する我が子を奪われ、もがき苦しむ当事者たちの怒りと、理不尽な現状を読み取って欲しい。
ところで、各ケースについては、当事者の一方、すなわち子を奪われた親にしか話を聞いていない。それでは記事として偏向しすぎだという指摘もあるかもしれない。たとえば、連れ去った親の人格をうかがわせる描写はたくさんあるものの、子を奪われた親(証言者)の人格をうかがい知るヒントが少ないではないかと。そもそもの原因である夫婦関係の破綻と、子の連れ去りの原因になったかもしれない当事者2人の性格をうかがい知るための客観的な描写としては明らかに片手落ちであり、また、記事として不公平ではないかと。
その意見はある意味もっともだ。だが、正直に言うと、本件記事化に際して、連れ去った親には取材の申し込みすらしていない。というのも、子の連れ去りという問題は、取材の公平性を維持することが不可能なほど、当事者2人の立場上の落差が絶望的に大きいからだ。
子を奪われた親が何よりも望むのは、「我が子に会いたい」ということだ。ところが、ここに登場する当事者は、我が子に会うことがほとんど、あるいはまったく実現されていない。それは司法の判断によるのではない、先述の通り、連れ去った親の胸三寸で決められてしまっている。よって、もし本件の取材を、子を連れ去った親に対して行った場合、子の連れ去り問題の記事化や取材の動きに対して連れ去り親が気分を害し、それによってさらに子を奪われた親と子どもとの面会交流の拒絶を強化することが充分に考えられる。それほどに、子を連れ去った親と、子を連れ去られた親の立場上の落差が大きく、我が子に会いたいというふたりの親の思いは、100対0の実現割合となっている現実がある。
このように公平な取材すら実現しない状況が、実子連れ去りの現状であることを、読者には前提として理解していただきたい。そのうえで、一方の当事者のみによる証言であるが、できるだけ状況を推し量って読んでいただきたい。
(つづく)
【寺村朋輝】
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