2024年12月22日( 日 )

地雷撤去の現場を訪問~カンボジア視察記(4)

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 (一財)カンボジア地雷撤去キャンペーン(福岡市早良区、大谷賢二理事長、CMC)が地雷撤去などの支援のためにこれまでどのような活動をしてきたか、また活動を行うなかで地雷原地域の貧困状況と子どもたちの教育問題に目を向けるようになり、学校建設などを通して教育面での支援を行ってきたことは、本サイトでも何度か紹介してきた。ここで、改めてカンボジアにおける地雷被害とその撤去活動について触れる。

アキ・ラー地雷博物館訪問

地雷博物館で案内、解説をしてくれるアキ・ラー氏
地雷博物館で案内、解説をしてくれる
アキ・ラー氏

    カンボジアで長く続いた内戦期、地雷は比較的廉価な兵器であったことから、多く使用された。地雷の多くは、人間の手足を吹き飛ばす程度に爆薬の量を調整されている。人を殺してしまうよりも、あえて負傷させるに留めておくことで、その負傷者を助けている間、別の兵士が戦えなくなり、また負傷した姿を相手に見せることにより戦意を喪失させるという狙いがある。負傷した人は生き延びたとしても、手足を切断、あるいは失明するなどして、その後の人生を障がい者として過ごすことになる。そうしたことが、地雷が悪魔の兵器とも呼ばれる所以である。

 アンコール・ワットなどの遺跡のあるシェムリアップからほど近い郊外に、「アキ・ラー地雷博物館」がある。これは、これまで30年で2~3万個もの地雷を撤去してきたアキ・ラー氏が地雷などの兵器を展示するために建てたものだ。アキ・ラー氏は、幼少期に家族を亡くし、少年兵として育てられて前線で活動し、そのなかで自身も地雷を扱ってきた。その後、地雷被害の深刻さを目の当たりにして、地雷撤去の技術を独自に学んだ。地雷博物館を訪問すると、アキ・ラー氏自身が出迎えてくれ、地雷や地雷で被害を受けた負傷者の写真などの展示品について解説してくれた。

 地雷の撤去に関する経験やノウハウが関係者の間で蓄積され、撤去活動に使用する機器も発展しているが、カンボジアの大地には今なお多くの地雷が埋まったままであり、年月が経過したからといってその脅威が衰えているわけではない。アキ・ラー氏の撤去チームでも、昨年、数名のメンバーが活動中に命を落としている。目の前で解説をしてくれたアキ・ラー氏が戦争の時代を生き延び、その後も膨大な数の地雷を撤去して、今でも元気に活動し続けていることが奇跡と思えたほどだ。

地雷には多くの種類が
地雷には多くの種類が

    博物館には数千個の地雷が展示されている。同博物館の訪問も組み込まれたアンコール遺跡の観光ツアーもあるが、シェムリアップ市から直接訪問するのも可能。現地に足を運ぶ際にはぜひ訪れてみてほしい。アキ・ラー氏以外にも日本人ボランティアがいて、タイミングがあえば施設の展示品やカンボジアの歴史などについて解説をしてくれる。記者が数年前に訪問した際には1時間近く熱心に解説してくれた。

地雷撤去活動の現場へ

 続けて、実際に地雷撤去活動を行っている現場を訪問した。機械を使って一気呵成に地雷を撤去できるのではないか、その方が犠牲もでないのではという意見もある。しかし、樹木などが多くある地域ではそうした方法は行えず、訓練を受けた人間が一歩ずつ地面を掘りながら地雷を探していく必要がある。この地雷撤去の活動では、一定のエリアを十数人のチームで数カ月かけて、少しずつ地雷を探し出し、見つかった地雷はメンバーの安全性を確保したうえで遠くから爆発させて無効化するという作業を繰り返している。

金属探知機を使用して地雷を捜索する
方法を教えてもらう。ただ、非金属で
反応しない地雷も多いとのこと

    現場では金属探知機などの機器を活用するほか、メンバーは重いヘルメットやプロテクターを装着して作業する。カンボジアは年間を通して高温多湿で日中の気温は最低でも30度以上。装備を着用することで体感温度は40度以上にもなるという。一行はただ見ているだけだが、何もしないで立っているだけでも暑くて重い。メンバーはその状態で、一瞬でも気を抜けば地雷を爆発させてしまうかもしれないという極度の緊張のなか、毎日数時間この作業を繰り返すのだ。現場で発見された地雷を実際に爆破させて処理する場面も見せてもらった。爆発処理を行う際にはメンバーは遠く離れた場所で、遠隔で操作して爆発させる。

見分けにくいが、↑の先には地雷が(周囲の土を取り除いた状態)
見分けにくいが、▲の先には地雷が
(周囲の土を取り除いた状態)

 現場視察の間、撤去活動を行うメンバーたちと昼食を共にしながら交流を行った。地雷撤去の現場は居住エリアから離れた場所にあり、近くに飲食店などはないため、メンバーたちはアルマイトの弁当箱にご飯やおかずを詰めて持参。私たち一行は道中の食堂で料理を詰めてもらっていた。一行はプノンペンの日系スーパーで購入した海苔などを彼らに勧め、彼らは家庭料理などを私たちにお裾分けしてくれた。レストランの料理とはまた違う、飾らない素朴な味で、美味しかった。ややしょっぱい味付けであったがご飯が進んだ。

 活動の現場でにはもちろん冷蔵庫などはないため、食べ物が腐敗しないよう濃いめの味付けにしているのかもしれない。数年前に同国を訪れた際に、地方などでは生活がまだまだ豊かでなく、食事において栄養への関心は二の次でご飯をたくさん食べられるようおかずの味を濃いめにしていると、現地の人から聞いたことを思い出した。

(了)

【茅野 雅弘】

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