傲慢経営者列伝(6)ヨーカ堂の体たらくが招いたセブン&アイの買収劇(中)
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「祇園精舎の鐘の音、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらわす。驕れる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。猛き者もついにはほろびぬ、ひとヘに風の前の塵に同じ」。『平家物語』の有名な書き出しである。現代では、M&Aの鐘の音が、盛者必衰の理を告げる。
鈴木氏の退任会見は井阪氏への批判に費やされた
40年以上にわたって流通業界を引っ張ってきたカリスマ、鈴木氏の退場劇は、一言で言ってしまえば、セブン&アイHDの企業ガバナンスが機能していないことを如実に示す記者会見だった。
毎日新聞とともに、セブン&アイの内紛をいち早く報じた読売新聞は4月8日(16年)朝刊で〈「独善」トップに反発〉との見出しで、鈴木会長退任の背景を書いている。
〈「改革案はほとんど出てこなかった」「社長を続けさせれば将来に禍根を残す」──。鈴木氏は7日の記者会見で、セブン-イレブン・ジャパンの井阪隆一社長を退任させようとした人事の理由を激しい言葉でまくし立てた〉、
〈約1時間の会見中、鈴木氏の発言のほとんどは井阪氏への批判に費やされ、会見場は異様な雰囲気に包まれた〉、
〈(中略)従来であれば、鈴木氏が決めた人事はその通りに決まってきたが、ここで異変が起こる。井阪氏は退任が内示された直後、いったんは了解したものの、後日、一転して「受け入れられない」と鈴木氏に強く抗議した。さらに鈴木氏がメンバーを指名して先月設立した「指名・報酬委員会」も人事案に異を唱えた。委員会に対して鈴木氏が示した井阪氏交代の理由は「経営手腕とは直接関係がないものであり、とても納得できるものではなかった」(関係者)とされる〉。
〈ここへきて鈴木氏に公然と異を唱える動きが表面化したのは鈴木氏が井阪氏の人事を強行しようとしたことに象徴されるように独善的になり、反発が強まったためだとされる〉。
鈴木氏の失脚で、創業家への回帰が浮き彫りに
1992年にヨーカ堂の社長を鈴木氏に譲って以降、創業者の伊藤雅俊氏はグループの経営から一定の距離を置いてきた。セブン&アイの筆頭株主(当時)である伊藤興業は創業家の資産管理会社だ。高齢の伊藤雅俊氏と妻に代わり、資産管理会社を切り盛りする役目は、伊藤興業の取締役である長女の山本尚子氏に変わっていた。
鈴木氏が失脚したため、イトーヨーカ堂創業者の伊藤雅俊氏の次男、伊藤順朗氏が2016年12月19日、取締役から取締役常務に昇格し、カリスマ経営者から創業家への回帰路線が浮き彫りになった。
伊藤順朗氏は1958年6月生まれ。学習院大学経済学部卒業後、三井信託銀行に入行。クレアモント大学経営大学院経営学修士(MBA)修了。米高級百貨店「ノードストローム」で修業を積み、90年にセブン-イレブン・ジャパンに入社。創業家出身としては出世が遅れたが、鈴木氏の失脚により、経営の表舞台に登場することになる。
歴史は繰り返す、「物言う株主」からイトーヨーカ堂の分離を求められる
鈴木氏が失脚した当時のセブン&アイは、株主の米投資ファンド、サードポイントから、不振だった総合スーパーのイトーヨーカ堂を切り離し、コンビニ事業に集中することを求められていた。サードポイントは井阪氏を支持していたが、鈴木氏は更迭案の提出を押し切った。
鈴木氏に代わってセブン&アイのトップに立った井阪氏も、別の米投資ファンド、バリューアクトから同じようにイトーヨーカ堂の分離を求められた。
井阪氏は積み残された経営課題の解決に取り組む。井阪氏にしてみれば、自分をクビにしようとした“天敵”ともいえるカリスマ経営者の鈴木氏が注力して手に入れた百貨店「そごう・西武」を2022年11月、2,500億円で米不動産ファンド、フォートレス・インベストメント・グループに売却する契約を結んだ。
家電量販店大手のヨドバシホールディングスはフォートレスと連携し、そごう・西武の旗艦店、西武池袋本店の一部店舗を取得し出店する。だが、社員OBの株主、地元の反対、地権者などとの協議が難航し、労組のストライキに発展したのは記憶に新しい。
(つづく)
【森村和男】
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