2025年の年男(2)関潤・鴻海EV事業CSO~古巣の日産株・取得を狙う魂胆(前)
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2025年の自動車業界大再編の幕が切って落とされた。ホンダと日産自動車が世界第3位グループに向けて動き出した。ホンダと日産が経営統合を急ぐ背景には、台湾の電子機器受託サービス大手・鴻海(ホンハイ)精密工業が日産の経営参画に意欲を示していることがある。(文中敬称略)
ゴーン元日産会長は、日産とホンダの統合を一刀両断
会社法違反(特別背任)で起訴された日産自動車元会長のカルロス・ゴーンが、逃亡先のレバノンで吠えた。日本外国特派員協会の記者会見にレバノンからオンラインで参加して、経営統合に向けた協議に入った日産とホンダについて語った。日本経済新聞電子版(2024年12月23日配信)はこう報じた。
〈日産とホンダの経営統合について、ゴーン被告は「産業の観点から統合で最初に着目するのは補完関係だが、ホンダと日産はビジネス上の補完性があいまいだ」と指摘。「両社は強みと弱みが重複している。現時点で成功するとは思えない」と分析した〉
台湾の鴻海(ホンハイ)精密工業が日産株の取得に向けて仏ルノーと協議していると報じられている。〈ゴーン被告は鴻海と日産の提携について「興味深い」と語った。「鴻海はまったく違ったことをやろうとしている。資金が潤沢で将来的な計画もある」と評価した〉
鴻海は米アップルのスマホなど、電子機器受託サービス(EMS)製造の世界最大手。2019年に、次世代の柱として電気自動車(EV)事業に参入すると明らかにした。23年2月、鴻海の電気自動車事業の最高戦略責任者(CSO)に関潤が就いた。関潤とは何者か。関潤の足跡をたどってみよう。
戦闘機のパイロットに憧れて防大に進む
関潤は1961年5月、長崎県佐世保市生まれの63歳。1980年長崎県立佐世保南高校卒業。高校時代は陸上部の短距離選手で、生徒会長も務めた。
「南校出身の有名な経営者は、日本マクドナルドで辣腕をふるい、”プロ経営者”と謳われた原田泳幸と、一時、日産のカルロス・ゴーンの後継者として期待されていた関潤が双璧。ともにアクが強い個性の持ち主」(佐世保出身の経済人)
1980年に防衛大学校に入学した。父が幼いころから入退院を繰り返し、母が家計を切り盛りしていたため経済的に余裕はなく、両親に負担をかけたくなかった。基地の街・佐世保で、小学4~5年生のころに、ジェット戦闘機パイロットになりたい夢を抱いていたこともあり、学費がかからない防衛大学校を目指すと決めた。
無事、防大に合格したが、そこで人生を変える出来事が相次いだ。入学してほどなく、2.0あった視力が低下して、パイロット適性の基準がクリアできず、戦闘機のパイロットになる夢は断たれた。さらに大学2年のときに父が亡くなり、大学4年の秋には母も他界した。
1984年、防衛大学校理工学部専攻機械工学専門課程を卒業。同期に、一時期“ベンチャーの星”と謳われたグッドウィル・グループ創業者の折口雅博がいる。防大卒業後、陸上自衛隊に入隊したが、パイロットになる道を失い「これからどうすればいいんだろう」と喪失感にかられ、除隊した。
ゴーン体制の日産で経営手腕を発揮
1年半の空白期間を経て、1986年に日産自動車に入社した。自衛隊とはまったく違う世界に行きたかっただけで、自動車会社に入りたかったわけではない。日産時代に出世の糸口となったことにについて、文春オンライン(2021年3月1日付)で、こう語っている。
〈海外でエンジンの現地生産に携われたことは大きかったと思います。1990年から3年間、イギリスで小型車「マーチ」用エンジンの現地生産に携わり、2001年からはアメリカでピックアップトラックや「アルティマ」というセダンの現地生産を担当。生産技術のベースに加えて、外国人とチームを組んで働くノウハウを学ぶことができました〉
仏ルノーから送り込まれて日産の独裁者として君臨したカルロス・ゴーンの下で、関潤は生産技術者から経営者へと脱皮する。ゴーンが次なる成長の柱と位置付けている中国事業に送り込まれた。
〈2013年から5年間、副総裁や総裁として経営を担った中国の合弁会社「東風汽車」では、最後の年に日本市場の3倍に当たる150万台を販売しました〉
(つづく)
【森村和男】
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